呻吟語 / 内篇・修身・薄・刻・切・激
寡恩曰薄,傷恩曰刻,盡事曰切,過事曰激。此四者,寬厚之所深戒也。
新字:寡恩曰薄,傷恩曰刻,尽事曰切,過事曰激。此四者,寛厚之所深戒也。
書き下し
恩を寡くするを薄と曰ひ、恩を傷るを刻と曰ひ、事を盡くすを切と曰ひ、事に過ぐるを激と曰ふ。此の四つの者は、寬厚の深く戒むる所なり。
現代語訳
情けが少ないのを薄と言い、情けを損なうのを刻と言い、事をやり尽くすのを切と言い、事をやりすぎるのを激と言います。この四つは、寛厚な人が深く戒めるところです。
解説
寛厚を保つために避けるべき四つの状態に、それぞれ一字の名前をつけます。薄と刻は情けの側、切と激は事の側です。情けが足りないだけでなく損なうところまで行くと刻になり、やり尽くすだけでなく越えると激になる。それぞれ二段階で目盛りが振られているのが丁寧なところです。自分の言動がどの段に来ているかを、四つの字で確かめられる形になっています。
この章句が説くこと
寛厚薄情苛酷過剰節度
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