墨子 / 耕柱
子墨子謂魯陽文君曰:「今有一人於此,羊牛芻豢,饔人日割而和之,食之勝食也。見人之生餅,則還然竊之,曰:『舍余食。』不知日月安不足乎?其有竊疾乎?」魯陽文君曰:「有竊疾也。」子墨子曰:「楚三意之田,曠蕪而不可勝辟,靈數千,不可勝見宋鄭之間邑,則還然竊之,此與彼異乎?」魯陽文君曰:「是猶彼也,實有竊疾也。」
新字:子墨子謂魯陽文君曰:「今有一人於此,羊牛芻豢,饔人日割而和之,食之勝食也。見人之生餅,則還然竊之,曰:『舎余食。』不知日月安不足乎?其有竊疾乎?」魯陽文君曰:「有竊疾也。」子墨子曰:「楚三意之田,曠蕪而不可勝辟,霊数千,不可勝見宋鄭之間邑,則還然竊之,此与彼異乎?」魯陽文君曰:「是猶彼也,実有竊疾也。」
書き下し
子墨子、魯陽文君に謂いて曰く、「今、一人此に有り。羊牛芻豢、饔人、日に割きて之を和し、之を食らいて食に勝えず。人の生餅を見れば、則ち還然として之を竊みて曰く、『余が食を舎け』と。日月の安んぞ足らざるを知らんや。其れ竊疾有るか」と。魯陽文君曰く、「竊疾有るなり」と。子墨子曰く、「楚の三意の田、曠蕪にして辟くに勝う可からず、靈數千、見るに勝う可からず。宋鄭の間の邑は、則ち還然として之を竊む。此れ彼と異なるか」と。魯陽文君曰く、「是れ猶お彼のごときなり、實に竊疾有るなり」と。
現代語訳
墨子が魯陽文君に言った。「いまここに一人の男がいます。羊も牛も家畜も、料理人が毎日さばいて味付けし、食べきれないほどある。それでも人の焼いた餅を見ると、さっと盗んで『これは私の食い物だ』と言う。日々の食に足りないわけがないでしょう。この男は盗みの病でしょうか」。魯陽文君が言った。「盗みの病である」。墨子が言った。「楚の広い田は荒れ果てて開ききれず、その広さは数えきれないほどです。それなのに宋や鄭の間の村を、さっと盗む。これはあの男と違いますか」。魯陽文君が言った。「あれと同じだ。まことに盗みの病である」。
解説
相手に一般論で判定させてから、それを相手自身の国に当てはめる。墨子が繰り返し使う運び方です。食べきれないほど持っている者が人の餅を盗む——それを病と認めた次の瞬間、開墾しきれない土地を持つ楚が隣国の村を取ることに話が移る。侵略を、必要ではなく病として扱う議論です。
この章句が説くこと
非攻過剰侵略判定たとえ
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