呻吟語 / 内篇・存心・倉卒の際、自然に掩護し得ず
說不得真知明見,一些涵養不到,發出來便是本象,倉卒之際,自然掩護不得。
新字:説不得真知明見,一些涵養不到,発出来便是本象,倉卒之際,自然掩護不得。
書き下し
真知明見と說き得ずして、一些の涵養到らざれば、發し出で來たれば便ち是れ本象なり。倉卒の際、自然に掩護し得ず。
現代語訳
本当に知り明らかに見ていると言えず、養いが少しも行き届いていなければ、出てきたものがそのまま本来の姿です。とっさの場面では、自然と取り繕うことができません。
解説
とっさの場面が、人の本来の姿を映す鏡として扱われます。養いが行き届いていなければ、出てくるものがそのまま本当の姿だ、と。取り繕えないのは意志が弱いからではなく、時間が無いからです。ふだんの言葉づかいや態度で隠せていたものが、急な場面で必ず出る。だから日ごろの養いしか防ぎようがないという、身も蓋もない結論になります。
この章句が説くこと
倉卒本象取繕涵養露呈
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『呻吟語』内篇・修身・本態は自然に露出す萬分の矜持、千分の點檢に任教すとも、裡面に自然の根本無くんば、倉卒の際、忽突の頃、本態は自然に露出す。是を以て君子は獨を慎む。獨中には只だ這個有り、發出し來たれば只だ是れ這個なり。何ぞ迴護するを勞せん、何ぞ支吾するを用ひん。
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