呻吟語 / 内篇・修身・天理を師保の如く敬す
天理本自廉退,而吾又處之以疏;人欲本善夤緣,而吾又狎之以親。小人滿方寸而君子在千里之外矣,欲身之修,得乎?故學者與天理處,始則敬之如師保,既而親之如骨肉,久則渾化為一體。人欲雖欲乘間而入也,無從矣。
新字:天理本自廉退,而吾又処之以疏;人欲本善夤縁,而吾又狎之以親。小人満方寸而君子在千里之外矣,欲身之修,得乎?故学者与天理処,始則敬之如師保,既而親之如骨肉,久則渾化為一体。人欲雖欲乗間而入也,無従矣。
書き下し
天理は本と自ら廉退す、而るに吾又た之に處するに疏を以てす。人欲は本と善く夤緣す、而るに吾又た之に狎るるに親を以てす。小人は方寸に滿ちて君子は千里の外に在り。身を修めんと欲するも、得んや。故に學者は天理と處するに、始めは則ち之を敬すること師保の如く、既にして之に親しむこと骨肉の如く、久しければ則ち渾化して一體と為る。人欲は間に乘じて入らんと欲すと雖も、從る無からん。
現代語訳
天理はもともと控えめに引き下がるものなのに、こちらはさらに疎遠に扱います。人欲はもともと巧みに取り入るものなのに、こちらはさらに親しく馴れ合います。すると小人が胸いっぱいになり、君子は千里の外にいることになります。身を修めたいと願っても、できるでしょうか。だから学ぶ者は天理と付き合うとき、初めは師や守り役のように敬い、次には肉親のように親しみ、長くなれば溶け合って一体になります。そうなれば人欲が隙をついて入ろうとしても、入り口がありません。
解説
天理と人欲を、性格の違う二人の来客として描きます。天理は遠慮がちで引き下がり、人欲は巧みに近づいてくる。放っておけば人欲が胸を満たすのは当然です。だから意識して天理の側に近づく必要があり、その順序が敬う、親しむ、溶け合うの三段で示されます。付き合いの深め方として描かれているので、抽象的な修養論よりずっと具体的に読めます。
この章句が説くこと
天理人欲交わり順序修身
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