呻吟語 / 内篇・修身・盜跖・伯夷・老子
初看得我污了世界,便是個盜跖;後看得世界污了我,便是個伯夷;最後看得世界也不污我,我也不污世界,便是個老子。
新字:初看得我污了世界,便是個盗跖;後看得世界污了我,便是個伯夷;最後看得世界也不污我,我也不污世界,便是個老子。
書き下し
初め看得るに我世界を污すとせば、便ち是れ個の盜跖なり。後に看得るに世界我を污すとせば、便ち是れ個の伯夷なり。最後に看得るに世界も也た我を污さず、我も也た世界を污さずとせば、便ち是れ個の老子なり。
現代語訳
初めに、自分が世界を汚していると見るなら、それは盗跖です。次に、世界が自分を汚していると見るなら、それは伯夷です。最後に、世界も自分を汚さず、自分も世界を汚さないと見るなら、それは老子です。
解説
世との関わり方を三段に並べます。自分が汚す段、世に汚される段、そして互いに汚さない段。二段目の伯夷は潔癖の代表で、ここでは中間に置かれています。潔癖は悪ではないが最上でもない、という位置づけが面白いところです。最後の段では汚すも汚されるも消えており、世を離れず、世に染まらない。呂坤自身がどこを目指したかが透けて見える一段です。
この章句が説くこと
潔癖世間段階伯夷老子
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・堯舜を以て人に望む世人の人の過ちを形容するは、只だ個の盜跖に象る。自家を迴護するは、只だ個の堯舜に象る。知らず、這は卻って是れ堯舜を以て人に望みて、盜跖を以て自ら待つなり。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・不夷不惠は君子後身の珍伯夷は冠の正しからざるを見れば、望望然として之を去る。何ぞ之に告げて正しからしめざる。柳下惠は袒裼裸程を見て、由由として與に偕にす。何ぞ之に告げて衣せしめざる。故に曰く、夷ならず惠ならざるは、君子後身の珍なり。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・其の餘は明らかなる所有れば必ず昏き所有り堯・舜・周・孔の道は、九達の衢の如く、通ぜざる所無し。代明の日月の如く、照らさざる所無し。其の餘は明らかなる所有れば、必ず昏き所有り。夷・尹・柳下惠は清・任・和に昏く、佛氏は寂に昏く、老氏は裔に昏く、楊氏は義に昏く、墨氏は仁に昏く、管・商は法に昏し。其の心向かふ所有るなり。譬へば鵑鴿の南を知るがごとし。其の心厭ふ所有るなり。譬へば盍旦の夜を惡むがごとし。豈に純然として一家の人物と成らずや。競に是れ偏氣なり。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・天下人に一個として伊尹は天下の人を看るに一個として是れ憐れむ可からざる無し。伯夷は天下の人を看るに一個として是れ惡む可からざる無し。柳下惠は天下の人を看るに一個として是れ與す可からざる無し。
-
『呻吟語』内篇・存心・何ぞ貌の盜跖に似たるを妨げん堯の眉、舜の目、文王の身、仲尼の步にして、盜跖其の心なるは、君子貴ばざるなり。數聖賢の心有らば、何ぞ貌の盜跖に似たるを妨げん。
-
『呻吟語』内篇・談道・羶に依り腥に附く底の人冷淡の中に無限の受用の處有り。都て炎熱に戀戀とし、死に抵るまで悟らず。既に悟るも回頭するを知らず、既に回頭するも卻って又た羨慕す。此れは是れ一種の羶に依り腥に附く底の人なり。切に與に真の滋味を談ずる莫かれ。