呻吟語 / 内篇・存心・何ぞ貌の盜跖に似たるを妨げん
堯眉舜目、文王之身、仲尼之步,而盜跖其心,君子不貴也。有數聖賢之心,何妨貌似盜跖?
新字:堯眉舜目、文王之身、仲尼之歩,而盗跖其心,君子不貴也。有数聖賢之心,何妨貌似盗跖?
書き下し
堯の眉、舜の目、文王の身、仲尼の步にして、盜跖其の心なるは、君子貴ばざるなり。數聖賢の心有らば、何ぞ貌の盜跖に似たるを妨げん。
現代語訳
堯の眉、舜の目、文王の体つき、孔子の歩き方をしていても、心が盗跖であるなら、君子はそれを貴びません。もし数々の聖賢の心を持っているなら、顔かたちが盗跖に似ていて何の差し支えがありましょうか。
解説
外見と中身が正面から切り離されます。聖人の姿かたちをしていても心が盗人なら貴ばれず、心が聖人なら顔が盗人に似ていてもかまわない、と。当時の相人術や、聖人の風貌を尊ぶ風潮への当てこすりでもあります。振る舞いを真似ることが修養だと思われがちですが、それを正面から否定する一段になっています。判定材料は心だけです。
この章句が説くこと
外貌内心聖賢盗跖判定
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