呻吟語 / 内篇・修身・堯舜を以て人に望む
世人之形容人過,只象個盜跖;迴護自家,只象個堯舜。不知這卻是以堯舜望人,而以盜跖自待也。
新字:世人之形容人過,只象個盗跖;迴護自家,只象個堯舜。不知這却是以堯舜望人,而以盗跖自待也。
書き下し
世人の人の過ちを形容するは、只だ個の盜跖に象る。自家を迴護するは、只だ個の堯舜に象る。知らず、這は卻って是れ堯舜を以て人に望みて、盜跖を以て自ら待つなり。
現代語訳
世の人が他人の過ちを言い立てるときは、まるで盗跖のように描きます。自分をかばうときは、まるで堯舜のように描きます。それが実は、堯舜の基準を人に求め、盗跖の基準で自分を扱っていることだとは気づいていません。
解説
他人には最高の基準を当て、自分には最低の基準を当てる。その逆転を、盗跖と堯舜という二つの名前だけで言い当てた一段です。本人は自分に甘く他人に厳しいとは思っておらず、他人が悪いから悪く言い、自分は事情があるからかばっているつもりでいます。だから気づかないと呂坤は書きます。基準の非対称を可視化する、鋭い一句です。
この章句が説くこと
二重基準自己弁護他責公平自省
関連する章句
-
二宮翁夜話・巻之五硯箱(すずりばこ)の墨(すみ)曲(まが)れり、翁(おきな)之を見て曰(いわ)く、総(すべ)て事を執(と)る者は、心を正平に持たんと、心掛くべし、譬(たと)へば此墨の如し、誰(たれ)も曲げんとて摺(す)る者はあらねど、手の力自然傾(かたむ)くが故に此の如く曲るなり、今之を直さんとするとも、容易に直るべからず、百事その通りにて、喜怒愛憎(きどあいぞう)ともに、自然に傾(かたむ)く物なり、傾けば曲るべし、能(よ)く心掛けて心は正平に持つべし。
-
人物志・釋爭若し彼賢にして我が前に処らば、則ち我が徳の未だ至らざるなり。
-
論語・公冶長篇子曰く、已んぬるかな。吾未だ能く其の過を見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり。
-
説苑・君道宋大水す。魯人之を弔いて曰く、「天淫雨を降らし、谿谷満盈し、延いて君の地に及び、以て執政を憂えしむ、臣をして敬んで弔わしむ」と。宋人之に応えて曰く、「寡人不佞にして、斎戒謹まず、邑封修まらず、人を使うこと時ならず、天殃を加え、又君の憂いを遺す、命を拝するの辱を」と。君子之を聞きて曰く、「宋国其れ庶幾からんか」と。問いて曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「昔夏の桀殷の紂は其の過ちを任ぜず、其の亡ぶるや忽焉たり。成湯文武は其の過ちを任ずることを知り、其の興るや勃焉たり。夫れ過ちて之を改むるは、是れ猶お過たざるがごとし。故に曰く其れ庶幾からんかと」と。宋人之を聞き、夙に興き夜に寐ね、早に朝し晏に退き、死を弔い疾を問い、力を宇内に戮す。三年にして、歳豊かに政平らかなり。嚮に宋人をして君子の語を聞かざらしめば、則ち年穀未だ豊かならずして国未だ寧からず。詩に曰く、「時の仔肩を佛け、我に顕徳の行いを示す」と、此を之れ謂うなり。
-
葉隠・聞書第一若き時分、残念記と名づけて、その日その日の誤りを書き付けて見たるに、二十・三十なき日はなし。果てもなく候。今にも一日の事を寝てから案じて見れば、言ひそこなひ、仕そこなひのなき日はなし。さても成らぬものなり。利発任せにする人は、了簡(りょうけん)に及ばざることなり。
-
『甲陽軍鑑』品第四十但しさやうの人は我心よきまゝに大略の人をあさくみて自慢の意地ある者なり、とてもの儀に慢気なくして、年增をばうやまい、年おとりを引きたて、同年をばたがひにうちとけ、其中によく近づく人のたらぬ事ある共よく異見を仕り、惣別人も我もよきやうにと存知、少しもへつらふたる儀いでば、心に心を耻る人は何に付けても大きにほめたる事なりといふて、