呻吟語 / 内篇・修身・堯舜を以て人に望む
世人之形容人過,只象個盜跖;迴護自家,只象個堯舜。不知這卻是以堯舜望人,而以盜跖自待也。
新字:世人之形容人過,只象個盗跖;迴護自家,只象個堯舜。不知這却是以堯舜望人,而以盗跖自待也。
書き下し
世人の人の過ちを形容するは、只だ個の盜跖に象る。自家を迴護するは、只だ個の堯舜に象る。知らず、這は卻って是れ堯舜を以て人に望みて、盜跖を以て自ら待つなり。
現代語訳
世の人が他人の過ちを言い立てるときは、まるで盗跖のように描きます。自分をかばうときは、まるで堯舜のように描きます。それが実は、堯舜の基準を人に求め、盗跖の基準で自分を扱っていることだとは気づいていません。
解説
他人には最高の基準を当て、自分には最低の基準を当てる。その逆転を、盗跖と堯舜という二つの名前だけで言い当てた一段です。本人は自分に甘く他人に厳しいとは思っておらず、他人が悪いから悪く言い、自分は事情があるからかばっているつもりでいます。だから気づかないと呂坤は書きます。基準の非対称を可視化する、鋭い一句です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
二重基準自己弁護他責公平自省
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