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呻吟語 / 内篇・修身・我只だ是れ個の我

我身原無貧富貴賤得失榮辱字,我只是個我,故富貴貧賤得失榮辱如春風秋月,自去自來,與心全不牽掛,我到底只是個我。夫如是,故可貧可富,可貴可賤,可得可失,可榮可辱。今人惟富貴是貪,其得之也必喜,其失之也如何不悲?其得之也為榮,其失之也如何不辱?全是靠著假景作真身,外物為分內,此二氏之所笑也,況吾儒乎?吾輩做工夫,這個是第一。吾愧不能,以告同志者。

新字:我身原無貧富貴賤得失栄辱字,我只是個我,故富貴貧賤得失栄辱如春風秋月,自去自来,与心全不牽掛,我到底只是個我。夫如是,故可貧可富,可貴可賤,可得可失,可栄可辱。今人惟富貴是貪,其得之也必喜,其失之也如何不悲?其得之也為栄,其失之也如何不辱?全是靠著仮景作真身,外物為分内,此二氏之所笑也,況吾儒乎?吾輩做工夫,這個是第一。吾愧不能,以告同志者。

書き下し

我が身は原と貧富貴賤得失榮辱の字無し。我は只だ是れ個の我なり。故に富貴貧賤得失榮辱は春風秋月の如く、自ら去り自ら來たりて、心と全く牽掛せず。我は到底只だ是れ個の我なり。夫れ是の如し、故に貧なる可く富なる可く、貴なる可く賤なる可く、得る可く失ふ可く、榮ゆ可く辱めらる可し。今人は惟だ富貴のみ是れ貪る。其の之を得るや必ず喜び、其の之を失ふや如何ぞ悲しまざらん。全く是れ假景に靠りて真身と作す、外物を分內と為す。

現代語訳

私の身には、もともと貧富も貴賤も得失も栄辱という字はありません。私はただ私です。だから富も貴も貧も賤も得も失も栄も辱も、春の風や秋の月のように、自分で去り自分で来るだけで、心とはまるで引っかかりません。私は結局ただ私です。そうであればこそ、貧しくもなれ富みもなれ、貴くも賤しくもなれ、得ることも失うこともでき、栄えることも辱められることもできます。今の人はただ富貴だけを貪ります。得れば必ず喜び、失えばどうして悲しまずにいられるでしょう。すっかり仮の景色を本当の自分とし、外の物を自分の分内としているのです。

解説

我只だ是れ個の我という一句が、談道篇の我は只だ我なりと呼応します。貧富も栄辱も自分の属性ではなく、春風や秋月のように通り過ぎる景色だという見方です。だからどの状態にもなれる。逆に、得たときに喜んでしまう人は、失ったときに悲しまざるを得ないと理屈で示します。喜びと悲しみが同じ一つの結びつきから出ているという指摘が鋭い。仮の景色を本当の自分だと思い込む、という言い方も忘れがたい一句です。

この章句が説くこと

自己栄辱外物独立景色

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