呻吟語 / 内篇・存心・是れ吾が道の一囊橐のみ
耳目之玩,偶當於心,得之則喜,失之則悲,此兒女子常態也。世間甚物與我相關,而以得喜、以失悲耶?聖人看得此身,亦不關悲喜,是吾道之一囊橐耳。愛囊橐之所受者,不以囊橐易所受,如之何以囊橐棄所受也?而況耳目之玩,又囊橐之外物乎?
新字:耳目之玩,偶当於心,得之則喜,失之則悲,此児女子常態也。世間甚物与我相関,而以得喜、以失悲耶?聖人看得此身,亦不関悲喜,是吾道之一囊橐耳。愛囊橐之所受者,不以囊橐易所受,如之何以囊橐棄所受也?而況耳目之玩,又囊橐之外物乎?
書き下し
耳目の玩、偶〻心に當たり、之を得れば則ち喜び、之を失へば則ち悲しむは、此れ兒女子の常態なり。世間の甚の物か我と相關あり、而して得るを以て喜び、失ふを以て悲しまんや。聖人は此の身を看るに、亦た悲喜に關せず、是れ吾が道の一囊橐のみ。囊橐の受くる所の者を愛すれば、囊橐を以て受くる所に易へず。之を如何ぞ囊橐を以て受くる所を棄てんや。而るに況んや耳目の玩は、又囊橐の外物なるをや。
現代語訳
耳や目の慰みものが、たまたま心にかなって、手に入れば喜び、失えば悲しむ。これは子どもや女性の常のありさまです。世の中のどんな物が自分と関わりがあって、得たからと喜び失ったからと悲しむのでしょうか。聖人はこの身を見るのにも悲喜に関わりません。これは自分の道を入れる一つの袋にすぎないからです。袋の中身を大切にするなら、袋と中身を取り替えたりしません。どうして袋のために中身を捨てるでしょうか。まして耳目の慰みものは、袋の外にある物なのです。
解説
体を袋にたとえる比喩が中心です。身は道を入れる袋にすぎないのだから、袋の状態に一喜一憂するのは筋が違う、と。そして順序が示されます。中身を大切にするなら袋と取り替えないし、袋のために中身を捨てない。そのうえで慰みものは袋の外だと言う。中身、袋、袋の外、という三層で優先順位が整理され、何に心を動かすべきかが明快になります。
この章句が説くこと
身体囊橐中身優先得失
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