呻吟語 / 内篇・談道・我は只だ是れ我なり
人問:「君是道學否?」曰:「我不是道學。」「是仙學否?」曰:「我不是仙學。」「是釋學否?」曰:「我不是釋學。」「是老、莊、申、韓學否?」曰:「我不是老、莊、申、韓學。」「畢竟是誰家門戶?」曰:「我只是我。」
新字:人問:「君是道学否?」曰:「我不是道学。」「是仙学否?」曰:「我不是仙学。」「是釈学否?」曰:「我不是釈学。」「是老、荘、申、韓学否?」曰:「我不是老、荘、申、韓学。」「畢竟是誰家門戸?」曰:「我只是我。」
書き下し
人問ふ、「君は是れ道學なるか否か」と。曰く、「我は是れ道學ならず」と。「是れ仙學なるか否か」。曰く、「我は是れ仙學ならず」と。「是れ釋學なるか否か」。曰く、「我は是れ釋學ならず」と。「是れ老・莊・申・韓の學なるか否か」。曰く、「我は是れ老・莊・申・韓の學ならず」と。「畢竟是れ誰が家の門戶ぞ」。曰く、「我は只だ是れ我なり」と。
現代語訳
人が問いました。あなたは道学ですか。違います。仙学ですか。違います。釈学ですか。違います。老荘や申不害や韓非の学ですか。違います。それでは結局どの家の門下ですか。答えて言う。私はただ私です。
解説
呻吟語の中で最もよく知られた問答の一つです。四度否定を重ね、最後に我は只だ我なりと答える。学派の名札を拒んだ宣言であり、この書が特定の党派の教科書にならなかった理由でもあります。ただし何にも属さないと言うのは、寄りかかる所を持たないということでもあり、前に出てきた寄りかからない胸の内と重なります。自由であると同時に、支えが無いという覚悟の言葉です。
この章句が説くこと
自立学派看板独立自己
関連する章句
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『呻吟語』内篇・修身・我只だ是れ個の我我が身は原と貧富貴賤得失榮辱の字無し。我は只だ是れ個の我なり。故に富貴貧賤得失榮辱は春風秋月の如く、自ら去り自ら來たりて、心と全く牽掛せず。我は到底只だ是れ個の我なり。夫れ是の如し、故に貧なる可く富なる可く、貴なる可く賤なる可く、得る可く失ふ可く、榮ゆ可く辱めらる可し。今人は惟だ富貴のみ是れ貪る。其の之を得るや必ず喜び、其の之を失ふや如何ぞ悲しまざらん。全く是れ假景に靠りて真身と作す、外物を分內と為す。
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『呻吟語』内篇・修身・那個か是れ人、那個か是れ我六合は是れ我が底の六合なり、那個か是れ人ならん。我は是れ六合底の我なり、那個か是れ我ならん。