呻吟語 / 内篇・修身・畫人・塑人・偶人
有象而無體者,畫人也,欲為而不能為。有體而無用者,塑人也,清淨尊嚴,享犧牲香火,而一無所為。有運動而無知覺者,偶人也,持提掇指使而後為。此三人者,身無血氣,心無靈明,吾無責矣。
新字:有象而無体者,画人也,欲為而不能為。有体而無用者,塑人也,清浄尊厳,享犠牲香火,而一無所為。有運動而無知覚者,偶人也,持提掇指使而後為。此三人者,身無血気,心無霊明,吾無責矣。
書き下し
象有りて體無き者は、畫人なり。為さんと欲して為す能はず。體有りて用無き者は、塑人なり。清淨尊嚴にして、犧牲香火を享くるも、一も為す所無し。運動有りて知覺無き者は、偶人なり。持提掇指使して而る後に為す。此の三人なる者は、身に血氣無く、心に靈明無し。吾に責むる無きなり。
現代語訳
形はあっても体が無いのは、絵に描かれた人です。しようとしてもできません。体はあっても働きが無いのは、塑像の人です。清らかで尊く、供え物や香をささげられても、何一つしません。動きはあっても知覚が無いのは、あやつり人形です。手で持ち上げ指さして命じて初めて動きます。この三種の人は、身に血の気が無く、心に霊なる明るさがありません。私が責めるべき相手ではないのです。
解説
働かない人を三種に分けた、辛辣な分類です。したくてもできない絵の人、尊ばれていながら何もしない像の人、命じられて初めて動く人形。とくに二つ目が痛烈で、敬われて供物まで受けながら何もしないという描写は、名ばかりの高位者への当てこすりでしょう。そして最後に、彼らには血も心も無いのだから責めても仕方ないと突き放します。責めないという結びが、かえって強い批評になっています。
この章句が説くこと
無為名ばかり受動批評働き
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