呻吟語 / 内篇・修身・丈夫の恥
求人已不可,又求人之轉求;徇人之求已不可,又轉求人之徇人;患難求人已不可,又以富貴利達求人。此丈夫之恥也。
新字:求人已不可,又求人之転求;徇人之求已不可,又転求人之徇人;患難求人已不可,又以富貴利達求人。此丈夫之恥也。
書き下し
人に求むるは已に可ならず、又た人の轉じて求むるを求む。人の求めに徇ふは已に可ならず、又た轉じて人の人に徇ふを求む。患難に人に求むるは已に可ならず、又た富貴利達を以て人に求む。此れ丈夫の恥なり。
現代語訳
人に頼むのさえよくないのに、その人からさらに別の人へ頼んでもらおうとする。人の頼みに応じるのさえよくないのに、さらに別の人にその頼みを聞かせようとする。苦しい時に人に頼むのさえよくないのに、栄達や利益のために人に頼む。これが男子の恥です。
解説
人に頼むことを三段階に分けて、それぞれ一段ずつ恥が深まる形で並べます。頼む、又聞きで頼ませる、そして苦境ではなく栄達のために頼む。苦しい時の依頼を最も軽い側に置いているところに、この段の情があります。生きるために頼むのと、出世のために頼むのは別だという線引きです。人脈を使うという行為の、重さの目盛りになっています。
この章句が説くこと
依頼人脈恥栄達自立
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