呻吟語 / 内篇・修身・男兒八景
往見泰山喬岳,以立身四語甚愛之,疑有未盡,因推廣為男兒八景,云:「泰山喬岳之身,海闊天空之腹,和風甘雨之色,日照月臨之目,旋乾轉坤之手,磐石砥柱之足,臨深履薄之心,玉潔冰清之骨。」此八景予甚愧之,當與同志者竭力從事焉。
新字:往見泰山喬岳,以立身四語甚愛之,疑有未尽,因推広為男児八景,云:「泰山喬岳之身,海闊天空之腹,和風甘雨之色,日照月臨之目,旋乾転坤之手,磐石砥柱之足,臨深履薄之心,玉潔冰清之骨。」此八景予甚愧之,当与同志者竭力従事焉。
書き下し
往きて泰山喬岳を見、身を立つるの四語を以て甚だ之を愛す。未だ盡くさざる有るを疑ひ、因りて推し廣めて男兒八景と為して云ふ、「泰山喬岳の身、海闊天空の腹、和風甘雨の色、日照月臨の目、旋乾轉坤の手、磐石砥柱の足、臨深履薄の心、玉潔冰清の骨」と。此の八景は予甚だ之に愧づ。當に同志の者と力を竭くして事に從ふべし。
現代語訳
かつて泰山や高い岳を見て、身を立てる四つの言葉を大いに好みました。まだ言い尽くしていないところがあると思い、そこで押し広げて男児の八景としました。泰山や高い岳のような身、海のように広く空のように大きな腹、和らいだ風と恵みの雨のような顔色、日が照り月が臨むような目、天地を回すような手、盤石のような足、深い淵に臨み薄氷を踏むような心、玉のように潔く氷のように清い骨。この八景には私自身が大いに恥じ入ります。志を同じくする者と力を尽くして努めたいと思います。
解説
理想の人物像を、身体の八つの部位に割り当てて描きます。身、腹、顔色、目、手、足、心、骨。それぞれに自然の像が当てられ、覚えやすい形になっています。手は天地を回すほど大きく、心は薄氷を踏むほど慎重、という配分も面白いところです。そして最後に自分は恥じ入ると書き添える。掲げた理想の下に自分を置く書き方が、この書らしいところです。
この章句が説くこと
理想像八景身体修養自省
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