呻吟語 / 内篇・修身・性分・職分・名分・勢分
性分、職分、名分、勢分,此四者,宇內之大物。性分、職分在己,在己者不可不盡;名分、勢分在上,在上者不可不守。
新字:性分、職分、名分、勢分,此四者,宇内之大物。性分、職分在己,在己者不可不尽;名分、勢分在上,在上者不可不守。
書き下し
性分・職分・名分・勢分、此の四つの者は、宇內の大物なり。性分・職分は己に在り、己に在る者は盡くさざる可からず。名分・勢分は上に在り、上に在る者は守らざる可からず。
現代語訳
性としての分、職としての分、名としての分、勢いとしての分。この四つは天下の大きなものです。性の分と職の分は自分の側にあり、自分の側にあるものは尽くさねばなりません。名の分と勢いの分は上の側にあり、上の側にあるものは守らねばなりません。
解説
分という一語を四つに割り、自分の側と上の側に振り分けます。そして扱いを変える。自分の側にあるものは尽くす、上の側にあるものは守る。尽くすと守るという動詞の使い分けが要点で、努力を注ぐ場所と、越えない場所をはっきり分けています。どこまで頑張ってよいかが分からなくなったときの、実に整理された地図になっています。
この章句が説くこと
分職責名分勢区別
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