呻吟語 / 内篇・修身・好名を以て君子を沮む
今之人只是將「好名」二字坐君子罪,不知名是自好不將去。分人以財者,實費財;教人以善者,實勞心;臣死忠、子死孝、婦死節者,實殺身;一介不取者,實無所得。試著渠將這好名兒好一好,肯不肯?即使真正好名,所為卻是道理。彼不好名者,舜乎?跖乎?果舜耶,真加於好名一等矣;果跖耶,是不好美名而好惡名也。愚悲世之人以好名沮君子,而君子亦畏好名之譏而自沮,吾道之大害也,故不得不辨。凡我君子,其尚獨,復自持,毋為嘵嘵者所撼哉。
新字:今之人只是将「好名」二字坐君子罪,不知名是自好不将去。分人以財者,実費財;教人以善者,実労心;臣死忠、子死孝、婦死節者,実殺身;一介不取者,実無所得。試著渠将這好名児好一好,肯不肯?即使真正好名,所為却是道理。彼不好名者,舜乎?跖乎?果舜耶,真加於好名一等矣;果跖耶,是不好美名而好悪名也。愚悲世之人以好名沮君子,而君子亦畏好名之譏而自沮,吾道之大害也,故不得不弁。凡我君子,其尚独,復自持,毋為嘵嘵者所撼哉。
書き下し
今の人は只だ是れ「好名」の二字を將て君子に罪を坐す。知らず、名は是れ自ら好みて將ち去らず。人に分かつに財を以てする者は、實に財を費やす。人に教ふるに善を以てする者は、實に心を勞す。臣の忠に死し、子の孝に死し、婦の節に死する者は、實に身を殺す。一介も取らざる者は、實に得る所無し。即使ひ真正に名を好むとも、為す所は卻って是れ道理なり。彼の名を好まざる者は、舜か、跖か。
現代語訳
今の人はただ名誉好きという二文字で君子を有罪にします。しかし名というものは、自分で好んで持ち去れるものではありません。人に財を分ける者は実際に財を失います。人に善を教える者は実際に心を労します。臣が忠に死に、子が孝に死に、婦が節に死ぬ者は、実際に身を殺します。わずかも受け取らない者は実際に何も得ません。仮に本当に名誉を好んでいたとしても、していることは道理にかなっています。では名誉を好まない者は、舜でしょうか、盗跖でしょうか。
解説

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