呻吟語 / 内篇・修身・毀言に因りて消沮す
分明認得自家是,只管擔當直前做去。卻因毀言輒便消沮,這是極無定力底,不可以任天下之重。
新字:分明認得自家是,只管担当直前做去。却因毀言輒便消沮,這是極無定力底,不可以任天下之重。
書き下し
分明に自家の是なるを認め得ば、只管に擔當して直ちに前み做し去る。卻って毀言に因りて輒ち便ち消沮す、這は是れ極めて定力無き底、以て天下の重きに任ず可からず。
現代語訳
自分が正しいとはっきり分かったなら、ひたすら引き受けてまっすぐ前へ進めばよい。それなのに悪口を言われただけですぐ萎える。これは定まる力がまるで無い者であって、天下の重い務めを任せることはできません。
解説
批判に耐えることを、人柄ではなく力量として測ります。萎えるかどうかが、重い務めを任せられるかどうかの判定材料になっているのです。前提として、自分が正しいと分かっていることが置かれている点も大事で、確かめないまま突き進めという話ではありません。確かめた後は動かない。定力という一語が、この段の要になっています。
この章句が説くこと
定力批判動揺担当任せる
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