呻吟語 / 内篇・修身・聖人の莠を惡む
不足與有為者自附於行所無事之名,和光同塵者自附於無可無不可之名。聖人惡莠也以此。
新字:不足与有為者自附於行所無事之名,和光同塵者自附於無可無不可之名。聖人悪莠也以此。
書き下し
與に為す有るに足らざる者は自ら行ふ所無きの名に附し、光を和らげ塵を同じくする者は自ら可も無く不可も無きの名に附す。聖人の莠を惡むは此を以てなり。
現代語訳
共に何かをするに足りない者は、自分から、事さらなことをしないという名に寄りかかります。世間に合わせて濁る者は、自分から、可も無く不可も無いという名に寄りかかります。聖人が莠を憎むのは、このためです。
解説
何もしない人が無為という言葉を、流されている人が融通という言葉を、それぞれ隠れ蓑にする。その偽装を突いた一段です。莠は稲によく似た雑草で、孔子はそれが苗と紛らわしいから憎むと言いました。立派な言葉に似ているからこそ見分けがつかない。自分の怠けにどんな名前をつけているかを、点検させる一段です。言葉を隠れ蓑にしていないか、そこを見よということです。
この章句が説くこと
偽装無為和光同塵言い訳莠
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