呻吟語 / 内篇・修身・沉靜は最も美質なり
沉靜最是美質,蓋心存而不放者。今人獨居無事,已自岑寂難堪,才應事接人,便任口恣情,即是清狂,亦非蓄德之器。
新字:沈静最是美質,蓋心存而不放者。今人独居無事,已自岑寂難堪,才応事接人,便任口恣情,即是清狂,亦非蓄徳之器。
書き下し
沉靜は最も是れ美質なり。蓋し心存して放たざる者なり。今人獨居無事なるに、已に自ら岑寂堪へ難し。才かに事に應じ人に接すれば、便ち口に任せ情を恣にす。即ち是れ清狂なるも、亦た德を蓄ふるの器に非ず。
現代語訳
落ち着いて静かであることが、最も善い資質です。心がそこにあって放たれていないからです。今の人は独りでいて用事が無いだけで、もう寂しさに堪えられません。少しでも事に当たり人に会えば、口に任せ感情のままに振る舞います。それが清らかな狂いであったとしても、徳を蓄える器ではありません。
解説
落ち着きを最上の資質としたうえで、その中身を心が放たれていないことだと定義します。だから、独りでいて寂しさに堪えられないのは、すでに心が外へ出ている証拠になります。人に会った途端に口が軽くなるのも同じ根から出ている。一人でいられるかどうかが、人と会ったときの振る舞いを決めるという診断で、器の有無をここで測っています。
この章句が説くこと
沈静孤独放心器徳
関連する章句
-
論語・衛霊公篇子曰く、由、徳を知る者は鮮なし。
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
徒然草・第75段つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に従へば、心外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに随ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に酔へり、酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑にし、事に与らずして心を安くせむこそ、暫く楽しぶともいひつべけれ。「生活、人事、技能、学問等の諸縁をやめよ。」とこそ、摩訶止観にもはべれ。
-
『韓非子』和氏第十三人主、能く大臣の議に倍き、民萌の誹を越え、獨り道言に周するに非ずんば、則ち法術の士、死亡に至ると雖も、道必ず論ぜられざらん。
-
徒然草・第12段同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も世のはかなき事も、うらなくいひ慰まむこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらむと向ひ居たらむは、ひとりある心地やせむ。互にいはむほどのことをば、げにと聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらむ人こそ、「我は然やは思ふ。」など争ひにくみ、「さるからさぞ。」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、我とひとしからざらむ人は、大かたのよしなしごといはむ程こそあらめ、まめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
-
『呻吟語』内篇・談道・盛世は同を貴び、衰世は獨を貴ぶ衰世は同を尚び、盛世も未だ嘗て同を尚ばずんばあらず。衰世は同流合污を尚び、盛世は同心合德を尚ぶ。虞廷は寅を同じくし恭を協せ、政を修めて異識無く、族を圮る者は之を殛す。孔門は道を同じくし志を協せ、身を修めて異術無く、吾が徒に非ざる者は之を攻む。故に曰く、道德一にして風俗同じと。之を二にするは帝王の治に非ず、之を二にするは聖賢の教へに非ず。乃ち知る、盛世は同を貴び、衰世は獨を貴ぶことを。獨は異を立つるに非ず、眾人皆な我の獨ならば、即ち盛世の同なり。