呻吟語 / 内篇・談道・盛世は同を貴び、衰世は獨を貴ぶ
衰世尚同,盛世未嘗不尚同。衰世尚同流合污,盛世尚同心合德。虞廷同寅協恭,修政無異識,圮族者殛之;孔門同道協志,修身無異術,非吾徒者攻之。故曰道德一、風俗同。二之非帝王之治,二之非聖賢之教,是謂敗常亂俗,是謂邪說破道。衰世尚同,則異是矣。逐波隨風,共撼中流之砥柱;一頹百靡,誰容盡醉之醒人?讀《桃園》、誦《板蕩》,自古然矣。乃知盛世貴同,衰世貴獨。獨非立異也,眾人皆我之獨,即盛世之同矣。
新字:衰世尚同,盛世未嘗不尚同。衰世尚同流合汚,盛世尚同心合徳。虞廷同寅協恭,修政無異識,圮族者殛之;孔門同道協志,修身無異術,非吾徒者攻之。故曰道徳一、風俗同。二之非帝王之治,二之非聖賢之教,是謂敗常乱俗,是謂邪説破道。衰世尚同,則異是矣。逐波随風,共撼中流之砥柱;一頽百靡,誰容尽酔之醒人?読《桃園》、誦《板蕩》,自古然矣。乃知盛世貴同,衰世貴独。独非立異也,衆人皆我之独,即盛世之同矣。
書き下し
衰世は同を尚び、盛世も未だ嘗て同を尚ばずんばあらず。衰世は同流合污を尚び、盛世は同心合德を尚ぶ。虞廷は寅を同じくし恭を協せ、政を修めて異識無く、族を圮る者は之を殛す。孔門は道を同じくし志を協せ、身を修めて異術無く、吾が徒に非ざる者は之を攻む。故に曰く、道德一にして風俗同じと。之を二にするは帝王の治に非ず、之を二にするは聖賢の教へに非ず。乃ち知る、盛世は同を貴び、衰世は獨を貴ぶことを。獨は異を立つるに非ず、眾人皆な我の獨ならば、即ち盛世の同なり。
現代語訳
衰えた世も同じであることを尊びますし、盛んな世も同じであることを尊ばないわけではありません。ただ衰えた世が尊ぶのは汚れに染まって足並みをそろえることであり、盛んな世が尊ぶのは心を同じくして徳を合わせることです。舜の朝廷では敬いを共にし、政を正して異論はなく、和を壊す者は罰せられました。孔子の門では道を同じくし志を合わせ、身を修めて別の手法はなく、仲間でない者は責められました。だから道徳が一つなら風俗も同じだと言うのです。盛んな世は同を尊び、衰えた世は独りを尊ぶ。その独りとは奇をてらうことではありません。人がみな私のように独りであれば、それがそのまま盛んな世の同なのです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『幽夢影』巻下・月を邀へて愁ひを言ふ淸宵に獨り坐し、月を邀へて愁ひを言ふ。良夜に孤り眠り、蛩を呼びて恨みを語る。
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
『酔古堂剣掃』集豪・縹緲たる孤鴻縹緲たる孤鴻、影窗際に來る。戶を開きて之に從へば、明月懷に入り、花枝零亂たり。楓落ち吳江の句を朗吟すれば、人をして淒絕たらしむ。
-
『酔古堂剣掃』集倩・明月故人に減ぜず幽堂晝密かにして、清風忽ち來たりて好伴となる。 虛窗夜朗らかにして、明月故人に減ぜず。
-
『晏子春秋』雑下・田無宇請求四方之學士晏子謂君子難得田桓子晏子の牆陰に独り立つを見て曰く、「子何為れぞ独り立ちて憂えざる。何ぞ四方の学士の可なる者を求めて与に坐せざる」と。晏子曰く、「共に立てば君子に似たるも、言を出だせば非なり。嬰悪くんぞ学士の可なる者を得て、之と坐せん。且つ君子の得難きや、華山の若く然り。名山既に多く、松柏既に茂る。之を望みて然り、目力を尽くして厭くを知らず。而して世に美とする所有り、固より彼の上に登らんと欲し、仡仡然として厭くを知らず。小人は此れと異なり、部婁の未だ登らざるが若き、善し。之に登るに蹊無く、維れ楚棘有るのみ。遠く望めども見る無く、俛して就けば則ち要を傷つく。嬰悪くんぞ独り立つこと無きを能わんや。且つ人何ぞ憂えん。静処して遠慮し、歳を見ること月の若し。学問厭かず、老の将に至らんとするを知らず。安んぞ酒に従うを用いん」と。田桓子曰く、「何をか酒に従うと謂う」と。晏子曰く、「客無くして飲む、之を酒に従うと謂う。今子の若き者は、昼夜尊を守る、之を酒に従うと謂うなり」と。
-
史記 高祖本紀是に於て乃ち趙の山北を分かち、子恒を立てて以て代王と為し、晋陽に都せしむ。春、淮陰侯韓信関中に謀反す、三族を夷ぐ。夏、梁王彭越謀反す、廃して蜀に遷す。復た反せんと欲す、遂に三族を夷ぐ。子恢を立てて梁王と為し、子友を淮陽王と為す。秋七月、淮南王黥布反し、東のかた荊王劉賈の地を并せ、北のかた淮を渡る、楚王交走りて薛に入る。高祖自ら往きて之を撃つ。子長を立てて淮南王と為す。十二年、十月、高祖已に布の軍を会甀に撃つ、布走る、別将をして之を追はしむ。高祖還り帰る、沛を過ぎ、留まる。沛宮に置酒し、悉く故人父老子弟を召して縦酒し、沛中の児を発して百二十人を得、之に歌を教ふ。酒酣にして、高祖筑を撃ち、自ら歌詩を為りて曰く、「大風起こりて雲飛揚す、威海内に加はりて故郷に帰る、安くにか猛士を得て四方を守らしめん。」と。児をして皆和して之を習はしむ。高祖乃ち起ちて舞ひ、慷慨傷懐し、泣数行下る。沛の父兄に謂ひて曰く、「游子故郷を悲しむ。吾関中に都すと雖も、万歳の後吾が魂魄猶ほ沛を楽しみ思はん。且つ朕沛公より以て暴逆を誅し、遂に天下を有つ、其れ沛を以て朕の湯沐の邑と為し、其の民を復し、世世与る所有る無からしめん。」と。沛の父兄諸母故人日に楽飲して驩を極め、旧故を道ひて笑楽を為す。十余日、高祖去らんと欲す、沛の父兄固く高祖を留めんことを請ふ。高祖曰く、「吾が人衆多し、父兄給する能はず。」と。乃ち去る。沛中県を空しくして皆邑の西に之きて献ず。高祖復た留止し、張飲すること三日。沛の父兄皆頓首して曰く、「沛は幸ひに復を得たり、豊は未だ復せず、唯だ陛下之を哀憐せよ。」と。高祖曰く、「豊は吾が生長せし所、極めて忘れざるのみ、吾特に其の雍歯の故を以て我に反きて魏の為にせしが為なり。」と。沛の父兄固く請ふ、乃ち并せて豊を復し、沛に比す。是に於て沛侯劉濞を拝して呉王と為す。