呻吟語 / 内篇・談道・歸宿は只だ是れ無我
聖學入門先要克己,歸宿只是無我。蓋自私自利之心是立人達人之障,此便是舜、跖關頭,死生歧路。
新字:聖学入門先要克己,帰宿只是無我。蓋自私自利之心是立人達人之障,此便是舜、跖関頭,死生歧路。
書き下し
聖學入門は先づ己に克つを要す、歸宿は只だ是れ無我なり。蓋し自私自利の心は是れ人を立て人を達するの障りなり。此れ便ち是れ舜・跖の關頭、死生の歧路なり。
現代語訳
聖人の学の入口は、まず己に克つことです。行き着く先は、ただ我が無いことです。自分だけの利を思う心は、人を立て人を達するのを妨げる障りだからです。ここが舜と盗跖の分かれ目であり、生と死の岐路です。
解説
入口と出口を一続きに示した一段です。入口の克己は自分と戦うことですが、出口の無我は戦う相手が消えた状態です。そして自利の心を、人を助けることの障りだと位置づけます。自分を利する心があるかぎり、人を立てる働きは途中で止まる。舜と盗跖を分けるのはここだと言い切る強さがあり、前の段の入口と出口の対と並べて読むと構図がよく見えます。
この章句が説くこと
克己無我自利利他分岐
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