呻吟語 / 内篇・倫理・是れ朋友は、四倫の賴る所なり
友道極關係,故與君父並列而為五。人生德業成就,少朋友不得。君以法行,治我者也。父以恩行,不責善者也。兄弟怡怡,不欲以切偲傷愛。婦人主內事,不得相追隨。規過,子雖敢爭,終有可避之嫌。至於對嚴師,則矜持收斂而過無可見。在家庭,則狎昵親習而正言不入。惟夫朋友者,朝夕相與,既不若師之進見有時,情禮無嫌,又不若父子兄弟之言語有忌。一德虧,則友責之;一業廢,則友責之。美則相與獎勸,非則相與匡救,日更月變,互感交摩,駸駸然不覺其勞且難,而入於君子之域矣。是朋友者,四倫之所賴也。嗟夫!斯道之亡久矣。言語嬉媟,樽俎嫗煦,無論事之善惡,以順我者為厚交;無論人之奸賢,以敬我者為君子。躡足附耳,自謂知心;接膝拍肩,濫許刎頸。大家同陷於小人而不知,可哀也已!是故物相反者相成,見相左者相益。孔子取友,曰「直」、「諒」、「多聞」,此三友者,皆與我不相附會者也,故曰益。是故,得三友難,能為人三友更難。天地間,不論天南地北、縉紳草莽,得一好友,道同志合,亦人生一大快也。
新字:友道極関係,故与君父並列而為五。人生徳業成就,少朋友不得。君以法行,治我者也。父以恩行,不責善者也。兄弟怡怡,不欲以切偲傷愛。婦人主内事,不得相追随。規過,子雖敢争,終有可避之嫌。至於対厳師,則矜持収斂而過無可見。在家庭,則狎昵親習而正言不入。惟夫朋友者,朝夕相与,既不若師之進見有時,情礼無嫌,又不若父子兄弟之言語有忌。一徳虧,則友責之;一業廃,則友責之。美則相与獎勧,非則相与匡救,日更月変,互感交摩,駸駸然不覚其労且難,而入於君子之域矣。是朋友者,四倫之所頼也。嗟夫!斯道之亡久矣。言語嬉媟,樽俎嫗煦,無論事之善悪,以順我者為厚交;無論人之奸賢,以敬我者為君子。躡足附耳,自謂知心;接膝拍肩,濫許刎頸。大家同陥於小人而不知,可哀也已!是故物相反者相成,見相左者相益。孔子取友,曰「直」、「諒」、「多聞」,此三友者,皆与我不相附会者也,故曰益。是故,得三友難,能為人三友更難。天地間,不論天南地北、縉紳草莽,得一好友,道同志合,亦人生一大快也。
書き下し
友道は極めて關係あり、故に君父と並列して五と為す。人生の德業成就は、朋友少なくんば得ず。君は法を以て行ふ、我を治むる者なり。父は恩を以て行ふ、善を責めざる者なり。兄弟は怡怡たり、切偲を以て愛を傷るを欲せず。婦人は内事を主る、相追隨するを得ず。過を規すに、子は敢へて爭ふと雖も、終に避く可きの嫌有り。嚴師に對するに至りては、則ち矜持收斂して過ち見る可き無し。家庭に在りては、則ち狎昵親習して正言入らず。惟だ夫れ朋友は、朝夕相與にし、既に師の進見時有るがごとくならず、情禮嫌無し。又父子兄弟の言語に忌有るがごとくならず。一德虧くれば、則ち友之を責む。一業廢すれば、則ち友之を責む。美なれば則ち相與に獎勸し、非なれば則ち相與に匡救す。日に更まり月に變じ、互ひに感じ交〻摩し、駸駸然として其の勞し且つ難きを覺えずして、君子の域に入る。是れ朋友は、四倫の賴る所なり。嗟夫、斯道の亡ぶること久し。言語嬉媟し、樽俎嫗煦す。事の善惡を論ずる無く、我に順ふ者を以て厚交と為す。人の奸賢を論ずる無く、我を敬する者を以て君子と為す。躡足附耳して、自ら知心と謂ひ、接膝拍肩して、濫りに刎頸を許す。大家同じく小人に陷りて知らず、哀しむ可きのみ。是の故に物の相反する者は相成り、見の相左する者は相益す。孔子の友を取るに、曰く「直」「諒」「多聞」と。此の三友なる者は、皆我と相附會せざる者なり、故に益と曰ふ。是の故に、三友を得るは難く、能く人の三友と為るは更に難し。天地の間、天南地北・縉紳草莽を論ぜず、一の好友を得て、道同じく志合ふは、亦た人生の一大快なり。
現代語訳
友の道はたいへん重要なので、君や父と並べて五倫の一つとされます。人の一生の徳と仕事の成就は、友が少なくては得られません。君は法によって行い、私を治める者です。父は恩によって行い、善を責めない者です。兄弟は和やかで、厳しく言い合って愛情を損なうのを望みません。妻は内の事を司り、いつも付き添えません。過ちを正すのに、子はあえて争うとはいえ、避けるべき遠慮が残ります。厳しい師に対しては、身を引き締めるので過ちが現れません。家庭では、慣れ親しみすぎて正しい言葉が入りません。ただ友だけは朝夕ともにあり、師のように会う時が限られてもおらず、情にも礼にも遠慮がありません。父子兄弟のように言葉に禁忌もありません。一つの徳が欠ければ友が責め、一つの仕事が廃れれば友が責める。良ければともに励まし、誤ればともに正し救う。日に改まり月に変わり、互いに感じ合い磨き合って、いつの間にか苦労も難しさも感じないまま君子の域に入ります。ですから友は、四つの倫が頼りにするものです。ああ、この道が滅びて久しい。言葉はふざけ、酒席ではなれ合う。事の善悪を問わず、自分に従う者を厚い交わりとし、人の善悪を問わず、自分を敬う者を君子とする。足を踏み耳に口を寄せて心を知る仲だと言い、膝を接し肩を叩いて、むやみに首を刎ねられても悔いない仲を許す。みな同じく小人に落ちて気づかない。哀しいことです。ですから、反対のものこそ互いを成し、見方の食い違うものこそ互いを益します。孔子が友を選ぶのに、直、諒、多聞と言いました。この三つの友は、みな自分に調子を合わせない者です。だから益と言うのです。ですから三友を得るのは難しく、人の三友となるのはさらに難しい。天地のあいだ、南北を問わず、身分の上下を問わず、一人の良い友を得て道が同じく志が合うのは、人生の大きな快事です。
解説
この章句が説くこと
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