呻吟語 / 内篇・談道・一・中・平・常・白・淡・無
一、中、平、常、白、淡、無,謂之七,無對。一不對萬;萬者,一之分也。太過不及對;中者,太過不及之君也。高下對;平者,高下之准也。吉凶禍福貧富貴賤對;常者,不增不減之物也。青黃碧紫赤黑對;白者,青、黃、碧、紫、赤之質也。酸鹹甘苦辛對;淡者,受和五味之主也。有不與無對;無者,萬有之母也。
新字:一、中、平、常、白、淡、無,謂之七,無対。一不対万;万者,一之分也。太過不及対;中者,太過不及之君也。高下対;平者,高下之准也。吉凶禍福貧富貴賤対;常者,不增不減之物也。青黄碧紫赤黒対;白者,青、黄、碧、紫、赤之質也。酸鹹甘苦辛対;淡者,受和五味之主也。有不与無対;無者,万有之母也。
書き下し
一・中・平・常・白・淡・無、之を七と謂ふ、對無し。一は萬に對せず。萬なる者は、一の分なり。太過不及は對す。中なる者は、太過不及の君なり。高下は對す。平なる者は、高下の准なり。吉凶禍福貧富貴賤は對す。常なる者は、不增不減の物なり。青黃碧紫赤黑は對す。白なる者は、青・黃・碧・紫・赤の質なり。酸鹹甘苦辛は對す。淡なる者は、五味を受け和するの主なり。有は無と對せず。無なる者は、萬有の母なり。
現代語訳
一、中、平、常、白、淡、無。この七つには対になる相手がありません。一は万と対になりません。万は一が分かれたものだからです。行きすぎと足りなさは対になります。中はその二つの主人です。高いと低いは対になります。平はその二つの基準です。吉凶や禍福、貧富や貴賤は対になります。常は増えも減りもしないものです。青黄碧紫赤黒は対になります。白はそれらの地です。酸鹹甘苦辛は対になります。淡は五味を受けて和える主人です。有は無と対になりません。無はあらゆる有るものの母だからです。
解説
対立しない七つの言葉を並べた、呻吟語でも変わった形の一段です。白は色の一つではなく色を受ける地であり、淡は味の一つではなく味を受ける主人である。この言い換えが見事で、白も淡も無も、欠けている状態ではなく受け入れる余地として定義されます。同じ目で見れば、中も平も常も、他と並ぶ選択肢ではなく、選択肢が乗る土台だと分かります。呂坤の淡への偏愛の根拠がここにあります。
この章句が説くこと
淡白無中土台
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