呻吟語 / 内篇・談道・皆な性真より流出す
三千三百,繭絲牛毛,聖人之精細入淵微矣。然皆自性真流出,非由強作,此之謂天理。
新字:三千三百,繭糸牛毛,聖人之精細入淵微矣。然皆自性真流出,非由強作,此之謂天理。
書き下し
三千三百、繭絲牛毛、聖人の精細は淵微に入れり。然れども皆な性真より流出して、強作に由るに非ず。此れを之れ天理と謂ふ。
現代語訳
威儀三千、礼儀三百は、繭の糸や牛の毛のように細かく、聖人の細やかさは奥深いところまで入っています。しかしそれはみな本性の真実から流れ出たものであって、無理に作ったものではありません。これを天理と言います。
解説
細かな作法が窮屈に見えるのは、それが外から課されたものだと思うからです。呂坤は逆に、繭の糸ほどに細かいところまで、本性から自然に流れ出たのだと言います。細かさは強制の産物ではなく、行き届いた心の跡だということになります。礼を情から生まれるとした先の段と、ここで呼応しています。細かさを強制と見るか、心配りと見るかの違いです。
この章句が説くこと
礼細部天理自然本性
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