呻吟語 / 内篇・談道・聲息を鬼神に感格するの妙機と為す
鬼神無聲無臭,而有聲有臭者,乃無聲無臭之散殊也。故先王以聲息為感格鬼神之妙機。周人尚臭,商人尚聲,自非達幽明之故者難以語此。
新字:鬼神無声無臭,而有声有臭者,乃無声無臭之散殊也。故先王以声息為感格鬼神之妙機。周人尚臭,商人尚声,自非達幽明之故者難以語此。
書き下し
鬼神は聲無く臭無し。而して聲有り臭有る者は、乃ち聲無く臭無きの散殊なり。故に先王は聲息を以て鬼神に感格するの妙機と為す。周人は臭を尚び、商人は聲を尚ぶ。自ら幽明の故に達する者に非ざれば以て此を語り難し。
現代語訳
鬼神には音も匂いもありません。そして音があり匂いがあるものは、音も匂いも無いものが散り分かれた姿です。だから先王は、音と香りを鬼神に通じる巧みな仕掛けとしました。周の人は香りを尊び、商の人は音を尊びました。幽と明の理に通じた人でなければ、このことは語りにくいものです。
解説
形の無いものと形のあるものを、散り分かれた姿という関係でつなぎます。音も香りも、形の無いものが散った先にある。だから音と香りを使えば、形の無いものへ届くという理屈です。祭祀の道具立てに理由を与えた一段で、王朝によって香りと音のどちらを重んじたかという具体も添えられています。祭りの場に音と香りがある理由が、ここで説明されています。
この章句が説くこと
鬼神祭祀声香幽明
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