葉隠 / 聞書第十一
多久圖書病中、嬉野十左衞門見舞ひ申され候へば、「御子息美作殿御器量にて候。」と申され候へば、「器量にても未だ功が入らず候。我等は若輩の時分、日峯様より奉行中への中使仰付けられ、御取次仕り候が、今存じ候に、さてゝ功に成る事共にて候。いづれ功を積み候はでは、御用に立ちがたく候。」と御申し候由。
新字:多久図書病中、嬉野十左衛門見舞ひ申され候へば、「御子息美作殿御器量にて候。」と申され候へば、「器量にても未だ功が入らず候。我等は若輩の時分、日峯様より奉行中への中使仰付けられ、御取次仕り候が、今存じ候に、さてゝ功に成る事共にて候。いづれ功を積み候はでは、御用に立ちがたく候。」と御申し候由。
書き下し
多久圖書病中、嬉野十左衞門見舞ひ申され候へば、「御子息美作(みまさか)殿御器量にて候。」と申され候へば、「器量にても未だ功が入(い)らず候。我等は若輩の時分、日峯(にっぽう)様より奉行中への中使(なかづかい)仰付けられ、御取次仕り候が、今存じ候に、さてさて功に成る事共にて候。いづれ功を積み候はでは、御用に立ちがたく候。」と御申し候由。
現代語訳
多久図書が、病中の見舞いに来た嬉野十左衛門に、経験を積むことの大切さを語った話である。図書が病床にあったとき、嬉野十左衛門が見舞い、「ご子息の美作殿はご器量がおありです」と言うと、図書は「器量があっても、まだ経験が足りない。私は若い頃、日峯様から奉行たちへの取次役を仰せつかって務めたが、今思えば、あれこそがまことに経験の糧になったことばかりだ。いずれにせよ、経験を積まなければ御用の役には立ちがたいものだ」と言われたそうだ。
解説
この章句が説くこと
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