葉隠 / 聞書第十一
多久圖書、病中見舞の嬉野十左衞門に功の經驗を語る 多久圖書病中、嬉野十左衞門見舞ひ申され候へば、「御子息美作殿御器量にて候。」と申され候へば、「器量にても未だ功が入らず候。我等は若輩の時分、日峯様より奉行中への中使仰付けられ、御取次仕り候が、今存じ候に、さてゝ功に成る事共にて候。いづれ功を積み候はでは、御用に立ちがたく候。」と御申し候由。
新字:多久図書、病中見舞の嬉野十左衞門に功の経験を語る 多久図書病中、嬉野十左衞門見舞ひ申され候へば、「御子息美作殿御器量にて候。」と申され候へば、「器量にても未だ功が入らず候。我等は若輩の時分、日峯様より奉行中への中使仰付けられ、御取次仕り候が、今存じ候に、さてゝ功に成る事共にて候。いづれ功を積み候はでは、御用に立ちがたく候。」と御申し候由。
書き下し
多久圖書(たくずしょ)、病中見舞の嬉野十左衞門(うれしのじゅうざえもん)に功(こう)の經驗を語る。多久圖書病中、嬉野十左衞門見舞ひ申され候へば、「御子息美作(みまさか)殿御器量にて候。」と申され候へば、「器量にても未だ功が入(い)らず候。我等は若輩の時分、日峯(にっぽう)様より奉行中への中使(なかづかい)仰付けられ、御取次仕り候が、今存じ候に、さてさて功に成る事共にて候。いづれ功を積み候はでは、御用に立ちがたく候。」と御申し候由。
現代語訳
多久図書が、病中の見舞いに来た嬉野十左衛門に、経験を積むことの大切さを語った話である。図書が病床にあったとき、嬉野十左衛門が見舞い、「ご子息の美作殿はご器量がおありです」と言うと、図書は「器量があっても、まだ経験が足りない。私は若い頃、日峯様から奉行たちへの取次役を仰せつかって務めたが、今思えば、あれこそがまことに経験の糧になったことばかりだ。いずれにせよ、経験を積まなければ御用の役には立ちがたいものだ」と言われたそうだ。
解説
生まれ持った器量だけでは十分でなく、実務の経験を積み重ねてこそ役に立つ、と説く一条です。息子の器量を褒められた多久図書が、「器量があっても功(経験)が要る」と応え、若い頃の取次役の下積みこそが後々の糧になったと振り返ります。才能を過信せず、地道な実務経験を重んじる姿勢は、今日の人材育成にもそのまま通じます。素質のある若手ほど、あえて雑務や下積みを経験させることで真に力がつく、という洞察です。器量は出発点にすぎず、経験が人を実務家に育てる。才より功を尊ぶ、成熟した仕事観を伝える言葉といえます。
この章句が説くこと
葉隠多久図書経験下積み器量と功人材育成