呻吟語 / 内篇・談道・一道の大中至正の線を打ち起こす
秦火之後,三代制作湮滅幾盡。漢時購書之賞重,胡漢儒附會之書多。其倖存者,則焚書以前之宿儒尚存而不死,如伏生口授之類。好古之君子壁藏而石函,如《周禮》出於屋壁之類。後儒不考古今之文,概云先王製作而不敢易,即使盡屬先王制作,然而議禮制度考文,沿世道民俗而調劑之,易姓受命之天子皆可變通,故曰刑法世輕重,三王不沿禮襲樂。若一切泥古而求通,則茹毛飲血、土鼓汙尊皆可行之今日矣。堯舜而當此時,其制度文為必因時順勢,豈能反後世而躋之唐虞?或曰:「自秦火後,先王制作何以別之?」曰:「打起一道大中至正線來,真偽分毫不錯。」
新字:秦火之後,三代制作湮滅幾尽。漢時購書之賞重,胡漢儒附会之書多。其倖存者,則焚書以前之宿儒尚存而不死,如伏生口授之類。好古之君子壁蔵而石函,如《周礼》出於屋壁之類。後儒不考古今之文,概云先王製作而不敢易,即使尽属先王制作,然而議礼制度考文,沿世道民俗而調剤之,易姓受命之天子皆可変通,故曰刑法世軽重,三王不沿礼襲楽。若一切泥古而求通,則茹毛飲血、土鼓汙尊皆可行之今日矣。堯舜而当此時,其制度文為必因時順勢,豈能反後世而躋之唐虞?或曰:「自秦火後,先王制作何以別之?」曰:「打起一道大中至正線来,真偽分毫不錯。」
書き下し
秦火の後、三代の制作湮滅して幾ど盡く。後儒は古今の文を考へず、概ね先王の製作と云ひて敢へて易へず。即使ひ盡く先王の制作に屬すとも、然れども禮を議し度を制し文を考ふるは、世道民俗に沿ひて之を調劑す。姓を易へ命を受くるの天子は皆な變通す可し。若し一切古に泥みて通を求めば、則ち茹毛飲血、土鼓汙尊も皆な今日に行ふ可し。或るひと曰く、「秦火の後、先王の制作何を以て之を別たん」と。曰く、「一道の大中至正の線を打ち起こし來たらば、真偽分毫も錯らず」と。
現代語訳
秦の焚書の後、三代の制度はほとんど滅びました。後の儒者は古今の文を照らし合わせもせず、ひとまとめに先王の制作だと言って手を触れません。仮にすべてが先王の制作だとしても、礼を議し制度を定め文を考えるのは、その時代の道と民の風俗に沿って調整するものです。姓が変わり天命を受けた天子は、みな変えてよいのです。何もかも古に固執して通そうとするなら、毛のまま食べ血をすすり、土の太鼓や粗末な酒器を今日も使うことになります。ある人が問いました。焚書の後、先王の制作をどう見分けるのですか。答えて言う。大いに中正な一本の線を引いてくれば、真偽は毛ほども狂いません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。