呻吟語 / 内篇・談道・用工は心に在りて矢に在らず
良知之說亦是致曲擴端學問,只是作用大端費力。作聖工夫當從天上做,培樹工夫當從土上做。射之道,中者矢也,矢由弦,弦由手,手由心,用工當在心,不在矢;御之道,用者銜也,銜由轡,轡由手,手由心,用工當在心,不在銜。
新字:良知之説亦是致曲擴端学問,只是作用大端費力。作聖工夫当従天上做,培樹工夫当従土上做。射之道,中者矢也,矢由弦,弦由手,手由心,用工当在心,不在矢;御之道,用者銜也,銜由轡,轡由手,手由心,用工当在心,不在銜。
書き下し
良知の說も亦た是れ曲を致し端を擴むる學問なり。只だ是れ作用の大端力を費やす。聖を作すの工夫は當に天上より做すべく、樹を培ふの工夫は當に土上より做すべし。射の道は、中つる者は矢なり。矢は弦に由り、弦は手に由り、手は心に由る。工を用ふるは當に心に在るべくして、矢に在らず。御の道は、用ふる者は銜なり。銜は轡に由り、轡は手に由り、手は心に由る。工を用ふるは當に心に在るべくして、銜に在らず。
現代語訳
良知の説もまた、細かい所から広げていく学問です。ただそのやり方に大きな力がかかります。聖人になる工夫は天の側からすべきで、木を育てる工夫は土の側からすべきです。弓の道では、当てるのは矢ですが、矢は弦により、弦は手により、手は心によります。力を入れるべきは心であって矢ではありません。馬を御する道では、使うのは轡ですが、轡は手綱により、手綱は手により、手は心によります。力を入れるべきは心であって轡ではありません。
解説
陽明学の良知の説に、方向が逆だと注文をつけます。細部から広げるのではなく、根から手をつけよ、と。弓と馬という二つの例が丁寧で、当たるのは矢、効かせるのは轡だが、力を入れる場所はどちらも心だと言います。結果が現れる場所と、手を入れる場所は違う。仕事の改善を考えるときにも、そのまま当てはまる見方です。矢を直す前に、構えている心を見よということです。
この章句が説くこと
良知根本心手段工夫
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