呻吟語 / 内篇・談道・才かに言筌に落つれば倚著有り
道不可言,才落言筌,便有倚著。
書き下し
道は言ふ可からず。才かに言筌に落つれば、便ち倚著有り。
現代語訳
道は言葉にできません。わずかでも言葉という仕掛けに落ちれば、そこに寄りかかる所ができてしまいます。
解説
言葉にした途端、その言い方に重心が移ってしまう。前の段で、一分寄りかかれば一分の偏りができると言ったことの、言葉の側からの言い換えです。言筌とは魚を捕る仕掛けのことで、荘子の、魚を得たら仕掛けは忘れよという話を踏まえています。言葉は道具であって道ではない、という一行です。うまい言い方を見つけた時ほど、注意が要るということです。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
言葉道執着言筌限界
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・有道の言と有德の言有道の言は、之を心悟に將ふ。有德の言は、之を躬行に得。有道の言は弘暢なり、有德の言は親切なり。有道の言は萬貨の肆に遊ぶが如く、有德の言は萬貨の商を發するが如し。有道者は言はざるを容れず、有德者は言を俟つ無し。然りと雖も、未だ嘗て言はずんばあらず。故に曰く、「德有る者は必ず言有り」と。
-
『碧巌録』第二十五則凡そ二十年中、多少の人有ってか、他と平展して語を下し見解を呈し、伎倆を做し尽くす。設ひ箇の道ひ得る有るも、也た他の極則の処に到らず。況んや此の事は言句の中に在らずと雖も、言句に非ざれば即ち辨ずること能はず。道ふを見ずや、「道は本言無し、言に因って道を顕す」と。所以に人の端的の処を験すに、口を下せば便ち音を知る。古人一言半句を垂るるも、亦他無し、只だ爾が有ることを知るか有ることを知らざるかを見んことを要す。他人の会せざるを見て、所以に自ら代はって云く、「他の途路に力を得ざるが為なり」。看よ他の道ひ得て、自然に理に契ひ機に契ふを。幾曾か宗旨を失却せん。古人云く、「言を承けては須らく宗を会すべし、自ら規矩を立つること勿れ」と。如今の人は只管に撞き将ち去って便ち了る。得ることは則ち得たるも、争奈せん顢頇儱侗なることを。若し作家の面前に到らば、三要の語を将って空に印し、泥に印し水に印して他を験さば、便ち方木の円孔に逗まって、下落の処無きを見ん。這裏に到って一箇の同得同証を討ぬるに、時に臨んで什麼の処に向かってか求めん。若し是れ有ることを知る底の人ならば、懐を開いて箇の消息を通ずるも、何の不可か有らん。若し人に遇はずんば、且く巻いて之を懐にせよ。
-
『学則』学則三車を数ふれば車無くして車の名有るは、古の道なり、聃の言の失に非ざるなり。道の道とすべきは常の道に非ずとは、聃の言の失なり。夫れ聖人よりして道の名有り、聃豈に非とせんや。祇だ其の知聖人に及ばず、之を教ふるに術無きなり。務めて之を喩さんことを求め、生ずるを竢たず。乃ち物を舎てて其の名を言ふ。之を言ふこと巧みなりと雖も、孰れか目睹するに若かん。且つや、徒だ名のみにして物無く、空言もて之を状す。故に其の言愈〻繁くして愈〻舛ふ。之を言ふ者は臆を以てし、之を聴く者も臆を以てす。曼衍として自ら恣にし、底止する莫し。徒だ其の華を翫びて、其の実を食はず。是れ它無きなり。聖人の教へを以て足らずと為し、勝ちて之に上らんと欲す。多に其の量を知らざるを見すのみ。然りと雖も、聃の礼を言ふや、諄諄乎として度数の遺さざるなり。故に聖を棄て学を絶つは、其の本心に非ざること、彰彰乎として明らかなるかな。祇だ其の心を操ること鋭く、務めて之を言はんことを求む。其の人に於けるや、急に之を知に伝へんと欲して、生ずるを竢たざるなり。
-
『酔古堂剣掃』集韻・益語を聞けば金を贈らるるが如し暖語を聞けば纊を挾むが如く、冷語を聞けば冰を飲むが如く、重語を聞けば山を負ふが如く、危語を聞けば卵を壓するが如く、溫語を聞けば玉を佩ぶるが如く、益語を聞けば金を贈らるるが如し。
-
『酔古堂剣掃』集法・怒る時の言は多く體を失ふ喜ぶ時の言は多く信を失ひ、怒る時の言は多く體を失ふ。
-
『酔古堂剣掃』集醒・口を開けば雌黃月旦の言を生ず口を開けば輒ち雌黃・月旦の言を生ず、吾れ微言の將に絕えんとするを恐る。 筆を捉れば便ち繽紛綺麗の飾に驚く、當に是れ妙處傳はらざるべし。