呻吟語 / 内篇・談道・夫れ焉んぞ倚る所有らんや
「夫焉有所倚」,此至誠之胸次也。空空洞洞,一無所著,一無所有,只是不倚著。才倚一分,便是一分偏;才著一釐,便是一釐礙。
書き下し
「夫れ焉んぞ倚る所有らんや」、此れ至誠の胸次なり。空空洞洞として、一も著くる所無く、一も有する所無し。只だ是れ倚著せざるのみ。才かに一分倚れば、便ち是れ一分の偏なり。才かに一釐著けば、便ち是れ一釐の礙なり。
現代語訳
いったいどこに寄りかかる所があるだろうか。これがこの上ない誠の人の胸の内です。がらんとして空っぽで、貼りつくものも持つものも一つとしてありません。ただ寄りかからないだけです。一分だけ寄りかかれば、それが一分の偏りになります。わずかに貼りつけば、それがわずかな引っかかりになります。
解説
中庸の一句から、寄りかからないことの意味を引き出します。がらんとして何も持たないのは、無気力ではなく、どこにも重心を預けていない状態です。そして偏りは寄りかかった分だけ、引っかかりは貼りついた分だけ、正確に生じると言います。少しくらいなら、が効かない。この定量的な言い方が印象に残ります。寄りかからない人だけが、どこへでも動けるということです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
中庸偏り無執着誠重心
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、既に聖人の道は知り易く行ひ易しと聞く。何ぞ人の之を能くする者鮮きや。豈に亦た甚だ難き所の者有るかと。曰く、有り。中庸に依るを難しと為す。中庸は本難事に非ず。中庸に依るの難きは、亦た誠を立つるの難きに在るなり。古の人も豈に亦た人人皆善く、事事皆中ることを得んや。但だ民朴にして俗淳く、誠実敦龐にして、邪回の行ひ無く、名利の求め無し。故に行ふ所自ら中庸に非ざること莫きなり。故に曰く、中庸の徳為るや、至れるかな、民鮮きこと久しと。後世に至りては、則ち風気日に漓く、人心古ならず。愚者は固より論ずるに足らず。其の少しく智有る者は、必ず利名を以て先と為し、常を厭うて新を好み、邇きを捨てて遠きを求む。是れ中庸の難き所以なり。故に曰く、天下国家も均しくすべきなり、爵禄も辞すべきなり、白刃も踏むべきなり、中庸は能くすべからざるなりと。是れ論語の極致なり。
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『初学訓』巻之四一およそ、農工商の三民は、君に仕へずして禄なし。みづから利養を求むるを専とす。されど、義理を捨てて利養を求むるは、天道に背き、人事を妨げて、たとひ、一旦の利を得るといへど、必ず天の咎人のにくみ有りて、後の禍にあふ。おろかなるものは、眼前の利をのみ謀りて、後の禍を知らず。不善を行ひて、利をむさぼること小なれば、財を失ふ。甚しければ、家を破り身を亡す。天のせめ人のにくみ遁れがたし、愚なるにあらずや。誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。四時行はれ、百物生る。善にさいはひし悪にわざはひす。是天道のまことなり、古今たがはず。人の道は、これを則として、つとめて誠にするにあり。ここをもつて、人の心は誠を主とす。誠あらざれば物なし。君父によく仕へ、いかなる善を行ひても、誠なければ為す事皆ひがごとなり。是を物なしといふ。つとめて善を行ふも、誠なければ、みづから欺き、人を欺くに至る、惜むべし。欺くとは偽るなり。故に、万の事誠を本とすべし。孔子の主忠信とのたまふも、此意なり。忠信は誠の心なり。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一我が身の慾を恣にするより大なる禍なし。人の非をそしるより大なる悪なしと、古人いへり。此二は、義理に乖くのみならず、身を亡す道なり。常に心にかけて戒むべし。一凡平生の心法は、真実にして偽なかるべし。中庸に、誠は天の道なり、之を誠にする者は、人の道なりといへり。誠は天の道なりとは、陰陽のしわざ、日月のめぐり、春夏秋冬の次第、いにしへ今かはらず、草木の、春生じ、夏長じ、秋みのり、冬をさまりて、年々にかはりなきも、皆是天道の誠なり。之を誠にすとは、人の力にて、つとめて誠にするを云ふ。人は天地の子なれば、天道の誠を法とし、したがひて行ふべし。是之を誠にするは人の道なり。孔子も忠信を主とすとのたまへり。此意は、誠を以て人の心の主とすべしとなり。
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『弁名』誠老氏の徒の先王の道を謂ひて偽と為すに及びて、子思中庸を作り、誠を言ふ者始めて盛んなり。然れども其の意は謂ふ、誠は天地の徳なり、鬼神の徳なり、性の徳なり、聖人の徳なり、と。天地鬼神は、皆思慮勉強の心無き者なり、故に誠を以て其の徳と為す。匹夫匹婦の愚不肖と雖も、其の性に得る所の者は、皆思はずして知り、勉めずして能くす。故に性の徳と曰ふなり。性は人の天に得る所なり。故に「誠は天の道なり」と曰ふ。
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『慎思録』巻之五聖賢の誠の字を言ふ、人の実心を以て言ふ者有り、天地鬼神の実理を以て言ふ者有り。李邦直、誠の字を解して曰く、欺かざる之を誠と謂ふ、と。此れ只実心を解し得たり。所謂之を誠にするは、人の道なり、といふものなり。実理に於ては、則ち説き去らず。程子改めて解して曰く、無妄之を誠と謂ふ、と。所謂誠は、天の道なり、といふものなり。此れ実心実理に通じて之を説くなり。精当と謂ふべし。
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『新論』國體上而して人神相感ずること、盥ひて未だ薦めざるの間に在りて最も至れりと為す。天下の誠、以て尚ふる莫し。故に中庸の誠を論ずる、亦先づ鬼神の徳を言ひて、舜と武王・周公の孝に及び、宗廟之を饗け、子孫之を保つと。遂に祖廟を修むることを言ひて、以て郊社禘嘗に至り、乃ち曰く、国を治むること諸を掌に示すが如しと。孝経の首章、大雅の祖を念ふの詩を引き、而して其の聖人の孝を論ずる、亦周公の郊祀及び明堂の祀を以て大と為す。其の意亦見るべきなり。陰陽合して物を生じ、精なる者人と為る。其の体は即ち父祖の遺にして、其の気は即ち天地の精なり。同体一気、交々相感応す。故に鬼神の徳、物に体して遺さず、洋洋として左右に在るが如し。人神至誠の相感ずるは、固より自然の符なり。聖人因りて以て教を設け、郊社禘嘗、以て帝に事へ先を祀りて、本に報い始めに反るの義尽せり。