呻吟語 / 内篇・談道・義命の兩字を真と認む
人只認得「義命」兩字真,隨事隨時在這邊體認,果得趣味,一生受用不了。
新字:人只認得「義命」両字真,随事随時在這辺体認,果得趣味,一生受用不了。
書き下し
人只だ「義命」の兩字を認め得て真ならば、事に隨ひ時に隨ひ這邊に在りて體認し、果たして趣味を得ば、一生受用し了はらず。
現代語訳
人がただ義と命の二文字を本当のものと認め、事あるごとに、その時々にこの二つに戻って体で確かめ、本当にその味わいを得たなら、一生かかっても使い切れません。
解説
義は自分がなすべきこと、命は自分の力の及ばないところです。この二つを区別できれば、力を注ぐ先と受け入れる先が分かれます。呂坤は難しい理屈を足さず、事あるごとにこの二文字に戻れとだけ言います。一生使い切れないという言い方には、二文字で足りるという確信と、二文字を使いこなす難しさの両方が込められています。
この章句が説くこと
義命分別受容実践
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・義は外內を合するの道義は、外內を合するの道なり。外に感ずる無ければ、則ち義は只だ是れ渾然として中に在るの理なり。物を見て之を裁制すれば則ち義と為る。義は物に生ぜず、亦た物に緣りて後に見る。告子は只だ義は外なりと說く、故に孟子は只だ義は內なりと說く。各おの一邊を說きて以て相駁す、故に窮年相辨じて服せず。孟子若し、義は外に緣りて形はると雖も、實は吾が心に根ざして生ず、物は是れ義ならず、而して物に處るは乃ち義と為る、と說かば、告子再び怎ぞ口を開かん。
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『墨子』魯問魯の南鄙の人に吳慮なる者有り。冬は陶し夏は耕して、自ら舜に比す。子墨子、聞きて之に見ゆ。吳慮、子墨子に謂う、「義のみ、義のみ。焉んぞ之を言うを用いんや」と。子墨子曰く、「子の所謂る義なる者は、亦た力有りて以て人を勞し、財有りて以て人に分かつか」と。吳慮曰く、「有り」と。子墨子曰く、「翟、嘗て之を計れり。翟、耕して天下の人に食わしめんことを慮る。盛んにして、然る後に一農の耕に當たる。諸を天下に分かたば、人ごとに一升の粟をも得る能わず。藉りて以て一升の粟を得と為すも、其の天下の饑を飽かしむる能わざるは、既に睹る可し。
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司馬法・仁本義を争いて利を争わず、是を以てその義を明らかにするなり。
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論語・陽貨篇子曰く、唯だ上知と下愚とは移らざるなり。
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呂氏春秋・論威①義なる者は、萬事の紀なり。君臣上下親疏の由りて起こる所なり。治亂安危過勝の在る所なり。過勝の道は、他に求むること勿し、必ず己に反る。
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呂氏春秋・髙義①君子の自ら行うや、動けば必ず義に縁る。行うこと必ず義に誠なれば、俗、之を窮せりと謂うと雖も、通ずるなり。行うこと義に誠ならず、動くこと義に縁らざれば、俗、之を通ぜりと謂うと雖も、窮せるなり。然らば則ち君子の窮通は、俗に異なる者有るなり。故に功に當りて以て賞を受け、罪に當りて以て罰を受く。賞當たらざれば、之に與うと雖も必ず辭す。罰誠に當たれば、之を赦すと雖も外けず。之を國に度れば、必ず利長久ならん。長久の主に於ける、必ず宜しく內は心に反して慚ぢずして然る後動くべし。