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呻吟語 / 内篇・談道・是非を爭ふ者は聖人に至りて息む

今古紛紛辨口,聚訟盈庭,積書充棟,皆起於世教之不明,而聰明才辨者各執意見以求勝。故爭輕重者至衡而息,爭短長者至度而息,爭多寡者至量而息,爭是非者至聖人而息。中道者,聖人之權衡度量也。聖人往矣,而中道自在,安用是嘵嘵強口而逞辨以自是哉?嗟夫!難言之矣。

新字:今古紛紛弁口,聚訟盈庭,積書充棟,皆起於世教之不明,而聰明才弁者各執意見以求勝。故争軽重者至衡而息,争短長者至度而息,争多寡者至量而息,争是非者至聖人而息。中道者,聖人之権衡度量也。聖人往矣,而中道自在,安用是嘵嘵強口而逞弁以自是哉?嗟夫!難言之矣。

書き下し

今古紛紛たる辨口、聚訟庭に盈ち、積書棟に充つるは、皆な世教の明らかならざるに起こりて、聰明才辨なる者各おの意見を執りて以て勝を求むればなり。故に輕重を爭ふ者は衡に至りて息み、短長を爭ふ者は度に至りて息み、多寡を爭ふ者は量に至りて息み、是非を爭ふ者は聖人に至りて息む。中道なる者は、聖人の權衡度量なり。聖人往けり、而れども中道は自ら在り。

現代語訳

昔から今まで議論が入り乱れ、訴えが庭にあふれ、書物が棟まで積み上がっているのは、みな世の教えが明らかでないところから起こり、頭が切れて弁の立つ者がそれぞれの意見を持ち出して勝とうとするからです。だから重さを争う者は秤に至れば止み、長さを争う者は物差しに至れば止み、多少を争う者は升に至れば止み、是非を争う者は聖人に至れば止みます。中道こそが聖人の秤であり物差しであり升です。聖人はもういませんが、中道はそのままあります。

解説

争いが止む条件を、道具のたとえで示します。重さの争いは秤を出せば終わる。是非の争いも、同じように基準さえ出せば終わるはずだ、と。基準が無いから弁の立つ者が勝ってしまうのです。そして聖人はいなくても中道は残っていると言い添えます。権威ではなく基準そのものに頼れという結びが、この一段の芯です。勝ち負けではなく、基準を先に置けという実務的な助言です。

この章句が説くこと

議論基準中道勝負是非

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