呻吟語 / 内篇・談道・大を立つれば小者は皆な好き奴婢
耳目口鼻四肢有何罪過?堯、舜、周、孔之身都是有底;聲色貨利、可愛可欲有何罪過?堯、舜、周、孔之世都是有底。千萬罪惡都是這點心,孟子「耳目之官不思而蔽物」,太株連了,只是先立乎其大,有了張主,小者都是好奴婢,何小之敢奪?沒了窩主,那怕盜賊?問:「誰立大?」曰:「大立大。」
新字:耳目口鼻四肢有何罪過?堯、舜、周、孔之身都是有底;声色貨利、可愛可欲有何罪過?堯、舜、周、孔之世都是有底。千万罪悪都是這点心,孟子「耳目之官不思而蔽物」,太株連了,只是先立乎其大,有了張主,小者都是好奴婢,何小之敢奪?没了窩主,那怕盗賊?問:「誰立大?」曰:「大立大。」
書き下し
耳目口鼻四肢に何の罪過か有らん。堯・舜・周・孔の身も都て是れ有る底なり。聲色貨利、愛す可く欲す可きに何の罪過か有らん。堯・舜・周・孔の世も都て是れ有る底なり。千萬の罪惡は都て是れ這點の心なり。孟子の「耳目の官は思はずして物に蔽はる」は、太だ株連せり。只だ是れ先づ其の大なる者を立てば、張主有りて、小者は都て是れ好き奴婢なり。何ぞ小の敢へて奪はんや。窩主沒くんば、那ぞ盜賊を怕れん。問ふ、「誰か大を立つる」と。曰く、「大が大を立つ」と。
現代語訳
耳や目や口や鼻や手足に何の罪があるでしょうか。堯も舜も周公も孔子も、みな持っていました。音や色や財や利、愛すべきもの欲しいものに何の罪があるでしょうか。堯舜周孔の世にも、みなありました。千万の罪悪は、すべてこの一点の心にあります。孟子が耳目の器官は思わないから物に覆われると言ったのは、巻き添えにしすぎです。まず大きなほうを立てさえすれば、主人ができて、小さなものはみな良い召使いになります。小さなものが奪えるわけがありません。手引きする者がいなければ、盗賊など恐れることはないのです。誰が大を立てるのかと問われれば、大が大を立てるのです。
解説

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