呻吟語 / 内篇・談道・一を執る者は萬を得
道盡於一,二則贅;體道者不出一,二則支。天無二氣,物無二本,心無二理,世無二權。一則萬,二則不萬,道也,二乎哉?故執一者得萬,求萬者失一。水壅萬川未必能塞,木滋萬葉未必能榮,失一故也。
新字:道尽於一,二則贅;体道者不出一,二則支。天無二気,物無二本,心無二理,世無二権。一則万,二則不万,道也,二乎哉?故執一者得万,求万者失一。水壅万川未必能塞,木滋万葉未必能栄,失一故也。
書き下し
道は一に盡く、二なれば則ち贅なり。道を體する者は一を出でず、二なれば則ち支なり。天に二氣無く、物に二本無く、心に二理無く、世に二權無し。一なれば則ち萬、二なれば則ち萬ならず。道なり、二ならんや。故に一を執る者は萬を得、萬を求むる者は一を失ふ。水は萬川を壅ぐも未だ必ずしも能く塞がず、木は萬葉を滋らすも未だ必ずしも能く榮えず。一を失へばなり。
現代語訳
道は一に尽きており、二つにすれば余分です。道を体する者は一から出ず、二つになれば枝分かれします。天に二つの気はなく、物に二つの根はなく、心に二つの理はなく、世に二つの権威はありません。一であればこそ万になり、二になれば万にはならない。道とはそういうもので、二つであってよいはずがありません。だから一を守る者は万を得て、万を求める者は一を失います。水はいくつもの川をせき止めても塞ぎきれず、木は万の葉を茂らせても栄えるとは限らない。一を失っているからです。
解説
根が一つであることの強さを説きます。水を止めたいなら川ごとにせき止めるのではなく源を押さえよ、木を茂らせたいなら葉を増やすのではなく根を養え。これが一を執る者は万を得るという言葉の中身です。対処すべき問題が多すぎると感じるとき、私たちはたいてい葉の側で戦っています。根に戻れという、実務的な忠告として読めます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
一根枝葉集中道
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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