呻吟語 / 内篇・談道・千古の嚴師と千古の嚴刑
「相在爾室,尚不愧於屋漏」,此是千古嚴師。「十目所視,十手所指」,此是千古嚴刑。
新字:「相在爾室,尚不愧於屋漏」,此是千古厳師。「十目所視,十手所指」,此是千古厳刑。
書き下し
「爾の室に在るを相るに、尚はくは屋漏に愧ぢざれ」、此れは是れ千古の嚴師なり。「十目の視る所、十手の指す所」、此れは是れ千古の嚴刑なり。
現代語訳
部屋にいるあなたを見るに、人目の届かない隅にいても恥じることがないように。これは千年変わらぬ厳しい師です。十の目が見つめ、十の手が指さしている。これは千年変わらぬ厳しい刑罰です。
解説
詩経と大学から一句ずつ引き、一方を師、一方を刑と名づけます。誰も見ていない部屋の隅で恥じないという内側の基準が師であり、大勢に見られているという外側の意識が刑です。呂坤は両方を並べて、どちらも千古から効き続けていると言います。内側だけでも外側だけでも人は緩む。二つの視線に挟まれて、人はようやくまっすぐ立てるのです。
この章句が説くこと
慎独屋漏監視自律恥
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