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論語 / 先進篇

顏淵死,子哭之慟。從者曰:「子慟矣!」曰:「有慟乎?非夫人之爲慟而誰爲?」

新字:顏淵死,子哭之慟。従者曰:「子慟矣!」曰:「有慟乎?非夫人之為慟而誰為?」

書き下し

顔淵死す。子之を哭して慟す。従者曰く、「子慟せり。」曰く、「慟すること有るか。夫の人の為に慟するに非ずして誰が為にせん。」

現代語訳

顔淵が死んだ。先生は声をあげて泣き、身も世もなく嘆かれた。お供の者が言った。「先生は取り乱しておられます。」先生はおっしゃった。「取り乱していたか。あの人のために取り乱さずに、誰のために取り乱すというのか。」

解説

礼を説いた人が、礼の限度を超えて泣いた。従者はそれを指摘した。孔子は否定せず、認めたうえで、この人のためでなければ誰のために取り乱すのかと返した。節度を守るべき場面と、守らなくてよい場面がある、という判断ではない。取り乱したこと自体を、正当だと言い切っている。ここに孔子の礼の理解が現れている。礼は感情を抑えるための道具ではなく、感情を適切に運ぶための器である。器に収まらないほどの感情があるなら、そのときは器のほうが後回しになる。指導的立場にある人ほど、感情を見せないことを規律だと考えがちだ。だが、本当に大きなものを失ったときに何も揺れない人は、何も賭けていなかっただけだと見られる。

この一句を、あなたの毎日に。

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