呻吟語 / 内篇・談道・一を得れば萬皆な舉がる
萬事萬物都有個一,千頭萬緒皆發於一,千言萬語皆明此一,千體認萬推行皆做此一。得此一,則萬皆舉;求諸萬,則一反迷。但二氏只是守一,吾儒卻會用一。
新字:万事万物都有個一,千頭万緒皆発於一,千言万語皆明此一,千体認万推行皆做此一。得此一,則万皆舉;求諸万,則一反迷。但二氏只是守一,吾儒却会用一。
書き下し
萬事萬物都て個の一有り、千頭萬緒皆な一より發し、千言萬語皆な此の一を明かし、千體認萬推行皆な此の一を做す。此の一を得れば、則ち萬皆な舉がる。諸を萬に求むれば、則ち一反って迷ふ。但だ二氏は只だ是れ一を守り、吾が儒は卻って一を用ふるを會す。
現代語訳
あらゆる事、あらゆる物には、それぞれ一つの核があります。無数の糸口はみな一から出て、無数の言葉はみなこの一を明かし、無数の体得と実践はみなこの一を行うためのものです。この一をつかめば万事が立ち上がり、万の側から探せば一のほうがかえって見えなくなります。ただ仏老の二家は一を守るだけですが、儒はその一を使うことを知っています。
解説
多くを覚えるより核を一つつかめ、という話です。面白いのは最後の一行で、呂坤は仏教も道教も一に行き着く点では同じだと認めたうえで、違いは守るか使うかだと言い切ります。守るだけなら山にこもっても済みますが、使うとなれば人の中で働かせなければなりません。儒を選ぶ理由を、教えの深さではなく用いる場所の違いに置いた一段です。
この章句が説くこと
一根本実践統一儒仏
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