呻吟語 / 内篇・談道・那個か是れ天地、那個か是れ萬物
天地人物原來只是一個身體、一個心腸,同了,便是一家,異了,便是萬類。而今看著風雲雷雨都是我胸中發出,虎豹蛇蠍都是我身上分來,那個是天地?那個是萬物?
新字:天地人物原来只是一個身体、一個心腸,同了,便是一家,異了,便是万類。而今看著風雲雷雨都是我胸中発出,虎豹蛇蠍都是我身上分来,那個是天地?那個是万物?
書き下し
天地人物は原來只だ是れ一個の身體、一個の心腸なり。同じければ、便ち是れ一家なり。異なれば、便ち是れ萬類なり。而今看著するに風雲雷雨は都て是れ我が胸中より發出し、虎豹蛇蠍は都て是れ我が身上より分かれ來たる。那個か是れ天地、那個か是れ萬物。
現代語訳
天と地と人と物は、もともとただ一つの身体、一つの心です。同じであれば一つの家であり、異なれば万の類です。今こうして見ていると、風も雲も雷も雨もみな自分の胸の中から出てきたもので、虎も豹も蛇もさそりもみな自分の身から分かれてきたものです。どれが天地で、どれが万物なのでしょうか。
解説
天地と自分の境目が消える境地が描かれます。風雲雷雨は自分の胸から出たもの、虎豹蛇蠍は自分の身から分かれたもの、と。注目したいのは、美しいものだけでなく虎や蛇やさそりまで自分から出たとされている点です。恐ろしいものも自分の一部だという認識で、談道篇の締めくくりにふさわしい広がりを持った一段になっています。
この章句が説くこと
天地一体風雲虎豹境目
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・那個か是れ人、那個か是れ我六合は是れ我が底の六合なり、那個か是れ人ならん。我は是れ六合底の我なり、那個か是れ我ならん。
-
『呻吟語』外篇・天地・太和我に在らば天地我に在り太和我に在らば、則ち天地我に在り。何ぞ動きて臧からざらん、何ぞ往きて得ざらん。
-
『呻吟語』外篇・天地・天何をか尤めて之を怨まん天地既に人物を生ずれば、則ち人物各おの一天地を具ふ。天地の天地は天地に由るを得るも、人物の天地は天地に由るを得ず。人各おの其の氣質の天地に任せて無涯に至れば、其の降衷の天地は澌盡に幾し。天地も亦た之を如何ともする無きのみ。其の吉凶禍福は率ね自ら造るに由る。天何をか尤めて之を怨まん。
-
『呻吟語』外篇・天地・陰陽は萬物に原と相干せず萬物は陰陽に生じ、陰陽に死す。陰陽は萬物に於て原と相干せず、其の自然に任するのみ。雨は物を潤さんと欲するに非ず、旱は物を熯さんと欲するに非ず、風は物を撓さんと欲するに非ず、雷は物を震はんと欲するに非ず。陰陽は其の氣の自然に任せて、萬物之に因りて以て生死するのみ。若し心有りて化を成さば、則ち寒暑災樣其の正を得て、乃ち天心を見んか。
-
『呻吟語』内篇・修身・一夫獲ざれば便ち是れ一處の瘡痍宇宙內の事は、皆な此の身に備はる。即ち一種未だ完せず、一毫未だ盡くさざれば、便ち是れ一分の破綻なり。天地間の生は、吾が體に非ざる莫し。即ち一夫獲ず、一物所を失へば、便ち是れ一處の瘡痍なり。
-
『呻吟語』内篇・談道・靜中に天地萬物を看れば都て些子無し靜中に天地萬物を看れば都て些子無し。