呻吟語 / 内篇・談道・自然を閣起して、只だ個の當然を說く
莊、列見得道理原著不得人為,故一向不盡人事。不知一任自然,成甚世界?聖人明知自然,卻把自然閣起,只說個當然,聽那個自然。
新字:荘、列見得道理原著不得人為,故一向不尽人事。不知一任自然,成甚世界?聖人明知自然,却把自然閣起,只説個当然,聴那個自然。
書き下し
莊・列は道理の原と人為を著け得ざるを見得たり、故に一向に人事を盡くさず。知らず、一に自然に任せば、甚の世界をか成さん。聖人は自然を明らかに知る、卻つて自然を把りて閣起し、只だ個の當然を說きて、那個の自然を聽す。
現代語訳
荘子と列子は、道理がもともと人の手を加えられないものだと見抜きました。だから一貫して人としての務めを尽くしません。しかし知らないのです、すべてを自然に任せてしまえば、どんな世界になるのかを。聖人は自然をはっきり知りながら、その自然のほうを棚に上げて、ただ当然のほうだけを説き、自然は自然に任せておきます。
解説
道家との違いが一点に絞られます。荘子や列子の見立てそのものは正しいと認めたうえで、そこから人事を尽くさない結論に至るのを批判します。聖人は同じことを知りながら扱いを変えた、と。自然を棚に上げて当然だけを説く、という言い方が的確で、分かっていることと語ることを分ける実務的な判断が示されています。見立てが同じでも、そこから何を選ぶかで道が分かれるという例です。
この章句が説くこと
荘列自然当然人事棚上
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