呻吟語 / 内篇・談道・物各〻其の真を自ら鳴らす
萬籟之聲,皆自然也。自然,皆真也。物各自鳴其真,何天何人?何今何古?《六經》,籟道者也,統一聖真,而漢宋以來胥執一響以吹之,而曰是外無聲矣。觀俳謔者,萬人粲然皆笑,聲不同也而樂同。人各笑其所樂,何清濁高下妍媸之足云?故見各鳴其自得。語不詭於《六經》,皆吾道之眾響也,不必言言同、事事同矣。
新字:万籟之声,皆自然也。自然,皆真也。物各自鳴其真,何天何人?何今何古?《六経》,籟道者也,統一聖真,而漢宋以来胥執一響以吹之,而曰是外無声矣。観俳謔者,万人粲然皆笑,声不同也而楽同。人各笑其所楽,何清濁高下妍媸之足云?故見各鳴其自得。語不詭於《六経》,皆吾道之眾響也,不必言言同、事事同矣。
書き下し
萬籟の聲は、皆自然なり。自然は、皆真なり。物は各〻其の真を自ら鳴らす。何ぞ天、何ぞ人、何ぞ今、何ぞ古ならん。『六經』は、道を籟する者なり、一聖真を統ぶ。而るに漢宋以來は胥に一響を執りて以て之を吹き、而して是の外に聲無しと曰ふ。俳謔を觀る者、萬人粲然として皆笑ふ。聲同じからずして樂は同じきなり。人各〻其の樂しむ所を笑ふ、何ぞ清濁高下妍媸の云ふに足らんや。故に見は各〻其の自得を鳴らす。語『六經』に詭らずんば、皆吾が道の眾響なり。必ずしも言言同じく、事事同じからざるなり。
現代語訳
あらゆる響きの音は、みな自然です。自然なものは、みな真です。物はそれぞれ自分の真を鳴らします。どこに天と人の別があり、今と古の別がありましょうか。六経は道を鳴らすもので、一つの聖なる真を束ねています。ところが漢や宋より後は、みなが一つの響きだけを取ってそれを吹き、これ以外に音は無いと言います。道化芝居を見る者は、万人がどっと笑います。声は違っていても楽しみは同じです。人はそれぞれ自分の楽しいところを笑うのであって、清いか濁っているか、高いか低いか、美しいか醜いかを言うに及びません。ですから見方はそれぞれ自分の得たところを鳴らします。言葉が六経に背かなければ、みな自分たちの道の多くの響きです。言葉ごと事ごとに同じである必要はありません。
解説
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