呻吟語 / 内篇・談道・神化性命は極めて粗淺底なり
形神一息不相離,道器一息不相無,故道無精粗,言精粗者,妄也。因與一客共酌,指案上羅列者謂之曰:「這安排必有停妥處,是天然自有底道理;那僮僕見一豆上案,將滿案樽俎東移西動,莫知措手,那知底入眼便有定位,未來便有安排。新者近前,舊者退後,飲食居左,匙箸居右,重積不相掩,參錯不相亂,佈置得宜,楚楚齊齊,這個是粗底。若說神化性命不在此,卻在何處?若說這裡有神化性命,這個工夫還欠缺否?推之耕耘簸揚之夫、炊爨烹調之婦,莫不有神化性命之理,都能到神化性命之極。學者把神化性命看得太玄,把日用事物看得太粗,原不曾理會。理會得來,這案上羅列得,天下古今萬事萬物都在這裡,橫豎推行、撲頭蓋面、腳踏身坐底都是神化性命,乃知神化性命極粗淺底。」
新字:形神一息不相離,道器一息不相無,故道無精粗,言精粗者,妄也。因与一客共酌,指案上羅列者謂之曰:「這安排必有停妥処,是天然自有底道理;那僮僕見一豆上案,将満案樽俎東移西動,莫知措手,那知底入眼便有定位,未来便有安排。新者近前,旧者退後,飲食居左,匙箸居右,重積不相掩,参錯不相乱,佈置得宜,楚楚斉斉,這個是粗底。若説神化性命不在此,却在何処?若説這裡有神化性命,這個工夫還欠欠否?推之耕耘簸揚之夫、炊爨烹調之婦,莫不有神化性命之理,都能到神化性命之極。学者把神化性命看得太玄,把日用事物看得太粗,原不曽理会。理会得来,這案上羅列得,天下古今万事万物都在這裡,横豎推行、撲頭蓋面、腳踏身坐底都是神化性命,乃知神化性命極粗浅底。」
書き下し
形と神とは一息も相離れず、道と器とは一息も相無からず。故に道に精粗無し、精粗を言ふ者は、妄なり。因りて一客と共に酌み、案上に羅列する者を指して之に謂ひて曰く、「這の安排は必ず停妥の處有り、是れ天然自ら有る底の道理なり。那の僮僕は一豆の案に上るを見て、滿案の樽俎を將て東に移し西に動かし、手を措くを知る莫し。那の知る底は眼に入れば便ち定位有り、未だ來たらざるに便ち安排有り。新しき者は前に近づき、舊き者は後に退く。飲食は左に居り、匙箸は右に居る。重ね積みて相掩はず、參錯して相亂れず。佈置宜しきを得て、楚楚齊齊たり。這個は是れ粗底なり。若し神化性命は此に在らずと說かば、卻つて何處に在らんや。若し這裡に神化性命有りと說かば、這個の工夫は還た欠缺せんや否や。之を耕耘簸揚の夫、炊爨烹調の婦に推すも、神化性命の理有らざる莫く、都て能く神化性命の極に到る。學者は神化性命を看得ること太だ玄にして、日用事物を看得ること太だ粗なり。原と曾て理會せず。理會し得來たれば、這の案上羅列し得るに、天下古今の萬事萬物都て這裡に在り。橫豎推行、撲頭蓋面、腳踏み身坐する底は都て是れ神化性命なり。乃ち知る、神化性命は極めて粗淺底なりと」と。
現代語訳
形と神は一息も離れず、道と器は一息も互いに欠けません。ですから道に精粗はなく、精粗を言う者は妄りです。そこで客と酒を酌み交わし、卓上に並んだものを指して言いました。この配置には必ず落ち着くべき場所があり、それは天然にある道理です。あの小僧は一皿が卓に上るのを見て、卓じゅうの器を東へ移し西へ動かし、どう置いてよいか分からない。分かっている者は目に入れば定まった位置があり、まだ来ないうちから配置ができている。新しいものは前に寄り、古いものは後ろへ下がる。飲食は左、匙と箸は右。重ねても覆わず、入り組んでも乱れない。配置がほどよく、きちんと整っている。これが粗いほうです。もし神化や性命がここに無いと言うなら、いったいどこにあるのでしょうか。もしここに神化や性命があると言うなら、この工夫はまだ欠けているでしょうか。これを耕し箕を振る男や、炊事をする女に押し広げても、神化や性命の理が無いことはなく、みなその極みに至ることができます。学ぶ者は神化や性命を奥深すぎると見て、日々の事物を粗すぎると見ています。もともと理解していないのです。理解できれば、この卓の上の配置に天下古今の万事万物がすべてある。縦横に押し進め、頭にかぶさり顔を覆い、足で踏み体で座るもの、すべてが神化性命です。そこで分かります。神化性命はきわめて粗く浅いところにあるのだ、と。
解説
この章句が説くこと
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