呻吟語 / 内篇・談道・一事中を得れば、就ち是れ一事底の堯舜
或問:「中之道,堯舜傳心,必有至玄至妙之理?」余歎曰:「只就我兩人眼前說這飲酒,不為限量,不至過醉,這就是飲酒之中;這說話,不緘默,不狂誕,這就是說話之中;這作揖跪拜,不煩不疏,不疾不徐,這就是作揖跪拜之中。一事得中,就是一事底堯舜,推之萬事皆然。又到那安行處,便是十全底堯舜。」
新字:或問:「中之道,堯舜伝心,必有至玄至妙之理?」余嘆曰:「只就我両人眼前説這飲酒,不為限量,不至過酔,這就是飲酒之中;這説話,不緘黙,不狂誕,這就是説話之中;這作揖跪拝,不煩不疏,不疾不徐,這就是作揖跪拝之中。一事得中,就是一事底堯舜,推之万事皆然。又到那安行処,便是十全底堯舜。」
書き下し
或ひと問ふ、「中の道は、堯舜の傳心なり、必ず至玄至妙の理有らんか」と。余歎じて曰く、「只だ我が兩人の眼前に就きて說かん。這の飲酒は、限量を為さず、過醉に至らず、這れ就ち是れ飲酒の中なり。這の說話は、緘默せず、狂誕せず、這れ就ち是れ說話の中なり。這の作揖跪拜は、煩ならず疏ならず、疾ならず徐ならず、這れ就ち是れ作揖跪拜の中なり。一事中を得れば、就ち是れ一事底の堯舜なり。之を萬事に推せば皆然り。又那の安行の處に到らば、便ち是れ十全底の堯舜なり」と。
現代語訳
ある人が問いました。中の道は堯舜が伝えた心です。必ずこの上なく奥深く妙なる理があるのでしょう。私は嘆じて言いました。ただ私たち二人の目の前のことで言いましょう。この酒を飲むのに、量を決めずに飲みながら酔いすぎに至らない、これが酒の中です。この話をするのに、黙り込まず、大げさにもならない、これが話の中です。この会釈やひざまずく礼をするのに、煩わしすぎず疎かすぎず、速すぎず遅すぎない、これが礼の中です。一つの事で中を得れば、それはその一つの事における堯舜です。万事に押し広げても同じです。さらに、努めなくても自然にそうなるところまで至れば、それが十全の堯舜です。
解説
中の道が奥深いものだという期待に、目の前の三つの例で答えます。酒、話、礼です。どれも量と加減の話で、玄妙なところがありません。そして格づけが示されます。一つの事で中を得れば、その事における堯舜だ、と。誰でも今日から一つは堯舜になれることになります。最後に、努めずに自然にできれば十全の堯舜だと段が示されます。
この章句が説くこと
中飲酒説話礼日常
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