呻吟語 / 内篇・談道・淡なれば則ち欲無し
廟堂之樂,淡之至也,淡則無欲,無欲之道與神明通;素之至也,素則無文,無文之妙與本始通。
新字:廟堂之楽,淡之至也,淡則無欲,無欲之道与神明通;素之至也,素則無文,無文之妙与本始通。
書き下し
廟堂の樂は、淡の至りなり。淡なれば則ち欲無し、無欲の道は神明と通ず。素の至りなり、素なれば則ち文無し、無文の妙は本始と通ず。
現代語訳
廟堂の楽は、淡さの極みです。淡ければ欲がなく、欲のない道は神明と通じます。また白さの極みです。白ければ飾りがなく、飾りのない妙は物の始まりと通じます。
解説
祭祀の楽が、淡と素の二語で説明されます。淡いから欲がなく、欲がないから神と通じる。白いから飾りがなく、飾りがないから始まりと通じる。二つの連鎖が同じ形で並びます。減らすことが通じる力になるという発想で、前に置かれた、体を持たない火だけが働きが尽きない、という一段とも響き合います。至高の音楽が最も淡いという逆説です。
この章句が説くこと
廟堂楽淡素無欲通
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