呻吟語 / 内篇・倫理・孝子親に侍するに、有る可からざる態
孝子侍親,不可有沉靜態,不可有莊肅態,不可有枯淡態,不可有豪雄態,不可有勞倦態,不可有病疾態,不可有愁苦態,不可有怨怒態。
新字:孝子侍親,不可有沈静態,不可有荘粛態,不可有枯淡態,不可有豪雄態,不可有労倦態,不可有病疾態,不可有愁苦態,不可有怨怒態。
書き下し
孝子親に侍するに、沉靜の態有る可からず。莊肅の態有る可からず。枯淡の態有る可からず。豪雄の態有る可からず。勞倦の態有る可からず。病疾の態有る可からず。愁苦の態有る可からず。怨怒の態有る可からず。
現代語訳
孝行な子が親のそばに侍るとき、沈んで静かな様子があってはなりません。厳かでいかめしい様子があってはなりません。枯れてあっさりした様子があってはなりません。豪快で雄々しい様子があってはなりません。疲れた様子があってはなりません。病んだ様子があってはなりません。愁い苦しむ様子があってはなりません。怨み怒る様子があってはなりません。
解説
親のそばで出してはいけない様子が八つ並べられます。興味深いのは、沈静や荘粛といった、この書が別の場面で高く評価している態度まで禁じられている点です。場面が変われば同じ態度が不適切になる、と。疲れも病も愁いも出してはならないという要求は厳しいですが、相手に心配をかけないという一点で貫かれています。相手の前でどう見えるかを、自分の気分より優先せよという要求です。
この章句が説くこと
侍親態度禁止場面配慮
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