茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・偉大な絵画に接するには王侯に接するごとく
美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、観覧者は通信を受けるに適当な態度を養わなければならない。宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ。」傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。
新字:美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、観覧者は通信を受けるに適当な態度を養わなければならない。宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ。」傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に嘆かわしいことである。
書き下し
美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、観覧者は通信を受けるに適当な態度を養わなければならない。宗匠小堀遠州は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ」。傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した」。現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。
現代語訳
美術鑑賞に必要な、思いやりのある心の通い合いは、互いに譲る精神によらなければなりません。美術家が通信を伝える道を心得ていなければならないように、見る者も通信を受けるのにふさわしい態度を養わなければなりません。宗匠の小堀遠州は、自ら大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残しています。偉大な絵画に接するには、王侯に接するようにせよ、と。傑作を理解しようとするには、その前で身を低くし息を殺し、一言一句も聞き漏らすまいと待っていなければなりません。宋のある有名な批評家が、非常に面白い告白をしています。若いころは自分の好む絵を描く名人を讃えたが、鑑識の力が熟するにつれて、自分の好みに合うように名人たちが選んだ絵を好む自分を讃えた、と。今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、まことに嘆かわしいことです。
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