呻吟語 / 内篇・倫理・上は意に先んじ、其の次は志を承く
孝子之事親也,上焉者先意,其次承志,其次共命。共命,則親有未言之志,不得承也;承志,則親有未萌之意,不得將也;至於先意,而悅親之道至矣。或曰:「安得許多心思能推至此乎?」曰:「事親者,以悅親為事者也。以悅親為事,則孳孳皇皇無以尚之者,只是這個念頭,親有多少意志,終日體認不得?」
新字:孝子之事親也,上焉者先意,其次承志,其次共命。共命,則親有未言之志,不得承也;承志,則親有未萌之意,不得将也;至於先意,而悅親之道至矣。或曰:「安得許多心思能推至此乎?」曰:「事親者,以悅親為事者也。以悅親為事,則孳孳皇皇無以尚之者,只是這個念頭,親有多少意志,終日体認不得?」
書き下し
孝子の親に事ふるや、上なる者は意に先んじ、其の次は志を承け、其の次は命を共にす。命を共にすれば、則ち親に未だ言はざるの志有るも、承くるを得ず。志を承くれば、則ち親に未だ萌さざるの意有るも、將ふを得ず。意に先んずるに至りて、親を悅ばしむるの道至れり。或ひと曰く、「安んぞ許多の心思を得て能く推して此に至らんや」と。曰く、「親に事ふる者は、親を悅ばしむるを以て事と為す者なり。親を悅ばしむるを以て事と為さば、則ち孳孳皇皇として以て之に尚ふる無き者は、只だ是れ這個の念頭なり。親に多少の意志有るも、終日體認して得ざらんや」と。
現代語訳
孝行な子が親に仕えるとき、上の者は親の意に先んじ、その次は志を汲み、その次は命令に従います。命令に従うだけでは、親がまだ口に出していない志があっても汲めません。志を汲むだけでは、親にまだ芽生えていない思いがあっても行えません。意に先んじるに至って、親を喜ばせる道は極まります。ある人が言いました。どうしてそれほどの心づかいを持って、そこまで推し量れましょうか。答えます。親に仕える者は、親を喜ばせることを仕事とする者です。親を喜ばせることを仕事とするなら、せっせと励んでこれに勝るものが無いと思う、その一つの思いだけです。親にどれほどの思いや志があっても、一日じゅう感じ取っていて分からないことがありましょうか。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・倫理・心に事ふるを上と為す人子の親に事ふるや、心に事ふるを上と為し、身に事ふるは之に次ぐ。最下は、身に事へて其の心を恤へざるなり。又其の下は、之に事ふるに文を以てして其の身を恤へざるなり。
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『呻吟語』内篇・倫理・悅の一字は、親に事ふる第一の傳心口訣なり人心喜べば則ち志意暢達し、飲食多く進みて傷まず、血氣沖和にして鬱せず。自然に病無くして體充ち身健やかなり、安んぞ壽ならざるを得んや。故に孝子の親に於けるや、終日乾乾として、惟だ一毫の不快事の父母の心頭に到る有らんことを恐る。自家既に惹き起こさず、外觸も又極めて防閒す。貧富貴賤・常變順逆を論ずる無く、只だ是れ親を悅ばしむるを以て主と為す。蓋し悅の一字は、乃ち親に事ふる第一の傳心口訣なり。即し不幸にして親に過ち有るも、亦た須らく悅の字の上に工夫を用ふべし。幾諫して誠を積み、煩を耐へ意を留め、委曲方略あらば、自ら天を回らす妙用有り。若し直諍して以て其の過ちを甚だしくし、暴棄して以て其の怒りを增さば、悅ばざること焉れより大なるは莫し。故に曰く、「親に順はざれば、以て子と為る可からず」と。
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『呻吟語』内篇・倫理・禮は下僕のごとく、情は小兒のごとし孝子の親に事ふるや、禮は卑伏して下僕のごとく、情は柔婉として小兒のごとし。
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『呻吟語』内篇・倫理・貴ぶ所は親の心を心とするのみ父在して母の喪に居り、母在して父の喪に居るは、生者の命に從ふを以て重しと為す。故に孝子は死者を以て生者を憂へしめず、小節を以て大體を傷らず、經に泥みて權を廢せず、名に徇ひて實を害せず、我を全くして親を傷らず。孝子に貴ぶ所の者は、親の心を心とするのみ。
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『呻吟語』内篇・倫理・惟だ和のみ妙と為し、深と為し、速と為し、難と為す人子の和氣・愉色・婉容、發し得て深き時、養ひ得て定まる時、父母の冷面寒鐵、雷霆震怒に任せて、只だ是れ這の一腔の溫意、一面の春風なれば、則ち自ら回らざるの天無く、自ら屢〻變ずるの天無し。讒譖何に由りてか入らん、嫌隙何に由りてか作らん。其の次は敬慎に如くは莫し。夔夔齋栗は、敬慎の至りなり、故に瞽瞍も亦た允に若へり。溫和は人に示すに愛す可きを以てし、父母の惡怒を消融す。敬慎は人に示すに矜れむ可きを以てし、父母の悲憐を激發す。所謂誠意を積みて以て之を感動する者は、和を養ひ敬を致すの謂ひなり。蓋し親を格すの功は、惟だ和のみ妙と為し、深と為し、速と為し、難と為す。至性純孝の者に非ざれば能はず。敬慎は猶ほ勉強す可きのみ。而今の人子は涼薄の色、惰慢の身、驕蹇の性を以てし、父母の怒りを犯すに及びて、既に挽回するを肯んぜず、又倨傲にして以て之を甚だしくす。此れ其の人は孝弟の外に在り、故に論ずるに足らず。即ち平日溫愉の子有るも、父母の悅ばざるに當たりて亦た慍見し、或いは疑ひを生じて怒りを遷す者、或いは意に遷怒無くして嫌を避けざる者、或いは善く嫌を避けずして愈〻避けて愈〻嫌を冒す者あり。隙を積みて釁を成し、遂に不祥を致す。豈に父母の慈ならざらんや。此れ孤臣孽子の法戒、志を堅くし仁に熟するの妙道なり。
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『塩鉄論』孝養篇文學曰く、善く養う者は必ずしも芻豢ならず、善く供服する者は必ずしも錦繡ならず。己の有する所を以て盡く其の親に事うるは、孝の至りなり。故に匹夫の勤勞も、猶お以て禮に順うに足り、菽を歠り水を飲むも、以て其の敬を致すに足る。孔子曰く、『今の孝は、是れ能く養うと為す、敬せずんば、何を以て別たんや』と。故に上孝は志を養い、其の次は色を養い、其の次は體を養う。其の禮を貴びて、其の養を貪らず、禮順い心和せば、養備わらずと雖も、可なり。易に曰く、『東鄰の牛を殺すは、西鄰の禴祭に如かざるなり』と。故に富貴にして禮無きは、貧賤の孝悌に如かず。閨門の內に孝を盡くし、閨門の外に悌を盡くし、朋友の道に信を盡くす、三者は、孝の至りなり。家に居りて理まる者は、財を積むを謂うに非ず、親に事えて孝なる者は、鮮肴を謂うに非ず、亦た顏色を和らげ、意を承けて禮義を盡くすのみ。