呻吟語 / 内篇・倫理・離合は心期に在り、專ら躬逢に在らず
古稱「君門遠於萬里」,謂情隔也。豈惟君門?父子殊心,一堂遠於萬里;兄弟離情,一門遠於萬里;夫妻反目,一榻遠於萬里。苟情聯志通,則萬里之外,猶同堂共門而比肩一榻也。以此推之,同時不相知,而神交於千百世之上下亦然。是知離合在心期,不專在躬逢。躬逢而心期,則天下至遇也:君臣之堯、舜,父子之文、周,師弟之孔、顏。
新字:古称「君門遠於万里」,謂情隔也。豈惟君門?父子殊心,一堂遠於万里;兄弟離情,一門遠於万里;夫妻反目,一榻遠於万里。苟情聯志通,則万里之外,猶同堂共門而比肩一榻也。以此推之,同時不相知,而神交於千百世之上下亦然。是知離合在心期,不専在躬逢。躬逢而心期,則天下至遇也:君臣之堯、舜,父子之文、周,師弟之孔、顏。
書き下し
古に「君門は萬里より遠し」と稱するは、情の隔たるを謂ふなり。豈に惟だ君門のみならんや。父子心を殊にせば、一堂も萬里より遠し。兄弟情を離れば、一門も萬里より遠し。夫妻目を反せば、一榻も萬里より遠し。苟くも情聯なり志通ぜば、則ち萬里の外も、猶ほ同堂共門にして肩を比べ榻を一にするがごとし。此を以て之を推せば、時を同じくして相知らずして、千百世の上下に神交するも亦た然り。是れ知る、離合は心期に在り、專ら躬逢に在らざることを。躬逢して心期せば、則ち天下の至遇なり。君臣の堯・舜、父子の文・周、師弟の孔・顏。
現代語訳
昔から、君主の門は万里より遠い、と言うのは、心が隔たっていることを指します。どうして君主の門だけでしょうか。父子が心を異にすれば、同じ座敷でも万里より遠い。兄弟が情を離せば、同じ家でも万里より遠い。夫婦が目を背け合えば、同じ寝床でも万里より遠い。かりにも情がつながり志が通じれば、万里の外にいても、同じ座敷、同じ門で肩を並べ寝床を同じくするようなものです。これを推し広げれば、同じ時代にいて知り合わないことも、千年百世を隔てて心で交わることも同じです。ですから分かります。離れるか合うかは心の期するところにあって、じかに出会うかどうかだけではないのだと。じかに出会って心も期するなら、天下で最高の巡り合わせです。君臣なら堯と舜、父子なら文王と周公、師弟なら孔子と顔回。
解説
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