呻吟語 / 内篇・倫理・繼母の慈には、德色有り矜語有り
親母之愛子也,無心於用愛,亦不知其為用愛,若渴飲饑食然,何嘗勉強?子之得愛於親母也,若謂應得,習於自然,如夏葛冬裘然,何嘗歸功?至於繼母之慈,則有德色,有矜語矣。前子之得慈於繼母,則有感心,有頌聲矣。
新字:親母之愛子也,無心於用愛,亦不知其為用愛,若渇飲饑食然,何嘗勉強?子之得愛於親母也,若謂応得,習於自然,如夏葛冬裘然,何嘗帰功?至於継母之慈,則有徳色,有矜語矣。前子之得慈於継母,則有感心,有頌声矣。
書き下し
親母の子を愛するや、愛を用ふるに心無く、亦た其の愛を用ふると為るを知らず。渴して飲み饑ゑて食らふがごとく然り、何ぞ嘗て勉強せんや。子の親母に愛を得るや、應に得べしと謂ふがごとく、自然に習ふ。夏の葛冬の裘のごとく然り、何ぞ嘗て功に歸せんや。繼母の慈に至りては、則ち德色有り、矜語有り。前子の繼母に慈を得るや、則ち感心有り、頌聲有り。
現代語訳
実の母が子を愛するとき、愛そうという心はなく、また自分が愛を注いでいるとも思っていません。渇けば飲み飢えれば食べるようなもので、どうして努力があるでしょうか。子が実の母から愛を受けるとき、当然受け取るべきものと思い、自然なこととして慣れています。夏の葛の衣、冬の皮衣のようなもので、どうして功に帰するでしょうか。継母の慈しみになると、恩に着せる顔つきがあり、誇る言葉があります。先妻の子が継母から慈しみを受けると、感謝する心があり、褒めたたえる声があります。
解説
実の母と継母の違いが、努力と自覚の有無で説明されます。実の母の愛には努力がなく、受ける子にも感謝がない。継母の慈しみには努力があり、恩に着せる顔つきが出て、受ける子は感謝する。感謝が生まれるのはどちらかと問えば、後者です。自然なものほど気づかれず、努力したものほど称えられるという構造が、親子の場面で冷静に描かれています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
実母継母自然努力感謝
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