呻吟語 / 内篇・存心・終に歸り來たる日有り、知らず幾時に到らん
終有歸來日,不知到幾時。
新字:終有帰来日,不知到幾時。
書き下し
終に歸り來たる日有り、知らず幾時に到らん。
現代語訳
いつかは帰ってくる日があります。それがいつになるかは分かりません。
解説
十二字の短い一句です。帰る日は必ず来ると言い、しかしいつかは分からないと続きます。確実さと不確実さが半々に置かれているのが特徴で、死の比喩とも、道に立ち返る日の比喩とも読めます。前に置かれた、息を引き取るとき持って行けるのは心だけだ、という一段の隣に置くと、後者の読みが重く響いてきます。必ず来ると分かっていて時が分からないから、いま支度をするほかありません。
この章句が説くこと
帰還必然不定時終点
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