甲陽軍鑑 / 品第三十九
其子細は縱へをとるに矢勢盛には射ぬく者也、矢勢過る時分には淺く立、矢勢過ては己と落る、其ごとく人の果報も久しく無之候、果報の過時分をまたずして盛に取合を始め、天道よりおしおとさるゝ也、信玄が信長·家康と武篇對々ならば、是程早く命は縮るまじけれ共、弓矢には信長·家康兩人懸りても信玄には更になり難き故、天道果報をひきし給へば、天より信玄をころし給ふ、其印には輝虎三年の間に病死仕るべく候、
新字:其子細は縦へをとるに矢勢盛には射ぬく者也、矢勢過る時分には浅く立、矢勢過ては己と落る、其ごとく人の果報も久しく無之候、果報の過時分をまたずして盛に取合を始め、天道よりおしおとさるゝ也、信玄が信長·家康と武篇対々ならば、是程早く命は縮るまじけれ共、弓矢には信長·家康両人懸りても信玄には更になり難き故、天道果報をひきし給へば、天より信玄をころし給ふ、其印には輝虎三年の間に病死仕るべく候、
書き下し
其子細は縦へをとるに矢勢盛には射ぬく者也、矢勢過る時分には浅く立、矢勢過ては己と落る、其ごとく人の果報も久しく無之候、果報の過時分をまたずして盛に取合を始め、天道よりおしおとさるゝ也、信玄が信長·家康と武篇対々ならば、是程早く命は縮るまじけれ共、弓矢には信長·家康両人懸りても信玄には更になり難き故、天道果報をひきし給へば、天より信玄をころし給ふ、其印には輝虎三年の間に病死仕るべく候、
現代語訳
その理由はこうである。たとえば矢を射るのに、矢の勢いが盛んなうちは射抜くものである。勢いが過ぎる時分には浅くしか立たず、勢いが過ぎてしまえば、ひとりでに落ちる。そのように人の果報も長くは続かない。果報の過ぎる時分を待たずに、盛んなうちに争いを始めれば、天道から押し落とされるのである。信玄が信長・家康と武篇において対等であったなら、これほど早く命は縮むまいけれども、弓矢では信長・家康の二人がかかっても信玄には到底かなわないゆえに、天道が果報を引いてしまえば、天が信玄を殺し給うのである。その印には、輝虎も三年のうちに病死するだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・首時①聖人の事に於ける、緩なるに似て急に、遲きに似て速かに、以て時を待つ。王季歷困しみて死す。文王之を苦しみ、有た羑里の醜を忘れざれども、時未だ可ならざるなり。武王之に事え、夙夜懈らざりしも、亦た玉門の辱を忘れず。立ちて十二年にして、甲子の事を成せり。時は固に得易からざるなり。太公望は東夷の士なり。一世を定めんと欲すれども其の主無し。文王の賢なるを聞き、故らに渭に釣りして以て之を觀る。
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『正法眼蔵随聞記』巻四必ず須からくこれ琢磨し練磨すべし、自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ、古人の云く、光陰空くわたることなかれと、今問ふ、時光は惜むによりてとゞまるか、惜めどもとゞまらざるか、すべからくしるべし、時光は空くわたらず、人は空くわたることを、人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に学道せよと云ふなり、かくのごとく参究を同心にすべし、我れ独り挙揚するも、容易にするにあらざれども、仏祖行道の儀、大綱みなかくの如くなり、如来の開示に随ひて得道するもの多けれども、亦阿難によりて悟道する人もありき、新首座非器なりと卑下することなかれ、洞山の麻三斤を挙揚して同衆に示すへしと云て、座を下て後ち、再び鼓を鳴らして、首座秉払す、是れ興聖最初の秉払なり、懐奘三十九の歳なり、
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呂氏春秋・審時①凡そ農の道は、時に厚きを寶と為す。木を斬ること時ならざれば、折れずんば必ず穗く。稼就って穫らざれば、必ず天の菑いに遇う。夫れ稼は之を為す者は人なり、之を生ずる者は地なり、之を養う者は天なり。是を以て人之を稼するに足を容れ、之を耨るに耨を容れ、之を據うに手を容る。此を之れ耕道と謂う。
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孔子家語・大婚解公曰く、「君子何ぞ天道を貴ぶや。」孔子曰く、「其の已まざるを貴ぶなり。日月東西相従いて已まざるが如きなり。是れ天道なり。閉じずして能く久しき、是れ天道なり。無為にして物成る、是れ天道なり。已に成りて之を明らかにする、是れ天道なり。」公曰く、「寡人且つ愚冥なり、幸いに子の心を煩わさん。」孔子蹴然として席を避けて対えて曰く、「仁人は物に過ぎず、孝子は親に過ぎず。是の故に仁人の親に事うるや天に事うるが如く、天に事うるや親に事うるが如し。此を孝子の身を成すと謂う。」公曰く、「寡人既に此くの如き言を聞く、後の罪を如何せんこと無きか。」孔子対えて曰く、「君子此の言に及ぶは、是れ臣の福なり。」
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説苑・說叢天與えて取らざれば、反って其の咎を受く。時至りて迎えざれば、反って其の殃を受く。天地親しむ無く、常に善人に與す。天道常有り、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。善を積むの家には、必ず餘慶有り。惡を積むの家には、必ず餘殃有り。一噎の故に、穀を絕ちて食らわず。一蹶の故に、足を卻けて行かず。心天地の如き者は明らかに、行い繩墨の如き者は章らかなり。位高くして道大なる者は從い、事大にして道小なる者は凶なり。言疑わしき者は犯す無く、行い疑わしき者は從う無し。蠹蝝は柱梁を仆し、蚊虻は牛羊を走らす。
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史記 伯夷列伝或いは曰く、「天道は親無く、常に善人に与す」と。伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふ可き者か、非ざるか。仁を積み行ひを潔くすること此くの如くして餓死す。且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為すも、然るに回や、屢々空しく、糟糠にだも厭かずして、卒に蚤夭す。天の善人に報施するは、其れ何如ぞや。盗跖は日々不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢にして、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。是れ何の徳に遵ふや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。近世に至るが若きは、操行軌ならず、専ら忌諱を犯し、而も身を終ふるまで逸楽し、富厚にて世を累ぬるも絶えず。或いは地を択びて之を蹈み、時ありて然る後に言を出だし、行ひは径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せず、而るに禍災に遇ふ者は、勝げて数ふ可からざるなり。余、甚だ惑ふ。儻くは所謂天道は、是か非か。