呻吟語 / 内篇・存心・事事己見を執らず、樂しみて諸を人に取る
念念可與天知,盡其在我;事事不執己見,樂取諸人。
新字:念念可与天知,尽其在我;事事不執己見,楽取諸人。
書き下し
念念天の知る可きは、其の我に在るを盡くすなり。事事己見を執らざるは、樂しみて諸を人に取るなり。
現代語訳
思いの一つ一つが天に知られてよいというのは、自分にできることを尽くしているからです。事の一つ一つに自分の考えを固執しないのは、喜んで人から取り入れるからです。
解説
二つの態度が、それぞれの理由とともに置かれます。天に知られてよい状態は、自分の分を尽くしているから。自分の考えに固執しない状態は、人から学ぶのが楽しいから。どちらも我慢や義務ではなく、自然な結果として語られているのが特徴です。とくに後半は孟子の、人に取りて善を為す、を踏まえ、意見を譲ることを損ではなく得として描いています。
この章句が説くこと
天知尽己固執取人楽
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